ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる
池冨芳子
(『含蓄』)
「瓢の笛」とは、イスノキの葉にできる虫こぶを笛として使ったもので俳句では秋の季語として詠まれる。イスノキは、静岡県以西の本州、四国、九州地方の暖地に自生し、アブラムシ類が寄生して袋状のこぶを作る。その虫が出て行ったあとに、穴を空け笛として遊んだ。「ひょうひょう」と鳴る音からイスノキは、ヒョンノキとも呼ばれるようになった。関東では馴染みのない木であったが、近年は公園などに植えられている。
小学生の頃、実家の近くに、自然の森や川、沼などを活かした自然観察公園が開園した。カブトムシや蛍の保護活動をしていた。後にハーブ園やきのこ栽培園、養蜂場なども経営し、活動費用にあてた。園内の観察館には、小学生向けの自然学習用の標本やパネルなどが展示され、ボランティアの大学生による丁寧な解説があった。年に数回、子供達を集めて「森で遊ぼう」という企画があり、バーベキュー大会なども開催していた。私と同級生のトックンは、お互いに鍵っ子だったため、放課後はその公園で陽が沈むまで遊んだ。夏休み中の体験学習会で私達の案内役をしてくれたのは、筑波大生の近藤真彦似のマッチと中森明菜似のアータンであった。
教育学部在学中の二人は、就職を有利にするためにボランティア活動をしていたと記憶しているのだが、イベントデー以外の時にも観察館に居り、一緒に遊んでくれた。木の実アートを作成するための椎の実や櫟の実を拾いに行ったり、千振などの薬草を摘んで効能を調べたり、煎じて飲んだりしたこともあった。私は、マッチが大好きで、トックンはアータンが気に入っているようであった。
10月も終わりに近い土曜日のことであった。瓢の実を探しに行こうということになり、四人で森の奥へと入っていった。マッチは私と手を繋ぎながら、イスノキが茨城県には自生しないため、開園の際に九州から取り寄せて植えたことや、瓢の実が実ではなく、虫こぶであることの説明などをしてくれた。動植物に詳しいトックンは、「実の中には虫の死骸が残っているはずだから笛にする時はよくほじった方がいい」などと言いながら、アータンの手を握っていた。数年前に植えられたというイスノキの下に立ち瓢の実を探した。少し高い場所にあって、手が届かない。するとマッチは私を肩車してくれた。「きゃあきゃあ」とはしゃぎながら、瓢の実を掴んだ。トックンは、近くの木に登って手を伸ばしていた。アータンが「危ないわよ」と言って、実を掴んだトックンを抱きおろしていた。そんなこんなで夕方になり、笛を作るのはまた来週となった。
週が明けた月曜日の休み時間にトックンが、「今度の土曜日にみんなで瓢の笛を作りに行こうよ」とクラスメートに話しかけていた。男子達は「えー?土曜日はサッカーがしたい」と乗り気ではない。するとトックンは「ボランティアのアータンは、明菜似の巨乳なんだぜ」と言い出す。「マジかよ。何で知ってるんだよ」と話に食いついてきた男子達もトックンも私には不愉快に思えた。だから負けずと女子達に「マッチは、近藤真彦よりもカッコよくて、この前は肩車してくれたのよ」と言った。結局、瓢の笛に興味がない仲間を誘うことはできず、トックンと二人だけで観察園行った。
その日は、マッチが遅れてくるため、それまで銀杏の実を拾うことになった。トックンとアータンと私の三人でビニール袋に銀杏を集めながら、「マッチが居ないとつまらない」と呟いた。するとトックンが「こいつ、マッチが好きなんだぜ」と冷やかした。急に恥ずかしくなって「トックンだってアータンのこと巨乳だって言ってたじゃない」とやり返した。「うるせぇ!」とトックンが銀杏を投げつけてきたので、私も投げ返した。「アータンは、マッチのことが好きなんだから、トックンのことなんか相手にしないよ。ざまーみろ」「そんなこと知ってるよ。二人は付き合っているに決まってる。相手にされてないのはお前の方だ」。
怒った私は「もう帰る」と言って、走り出した。アータンが「待ってよ。私とマッチはただのお友達よ。付き合ってなんかないよ」と追いかけてきた。私の手を掴んだアータンに泣きながら「でも好きなんでしょ」と聞いた。「好きだけど、片想いなのよ」。「アータンなんか大嫌い」と再び走り出そうとしたら、遅れてきたマッチにぶつかった。アータンもマッチも気まずそうに俯いていた。「どうぞお幸せに」と叫んでその場を立ち去った。
それから一週間ほどトックンとは口も聞かなかったが、土曜日の午後にはまた一緒に観察園に行った。入口にある館内でアータンが瓢の笛を並べていた。トックンと二人で「先週はごめんなさい」と謝った。「二人が仲直りしてくれて良かった。あのあと私は、マッチに振られちゃって、ボランティアも辞めることにしたの。就職も決まったしね。だから今日でさよならなの。いつかまた一緒に遊ぼうね」。マッチは、九州の出身で、就職活動のため実家に帰っているとのことであった。瓢の笛の吹き方はマッチしか知らないらしく、三人で鳴らない笛をふうふうしながら笑い合った。
以来、トックンと私は観察公園に行かなくなった。小学校5年生の頃のことだ。トックンのことが好きだと告げたら、一緒に遊べなくなると思った私は、その気持ちを伝えることはしなかった。中学校の時にトックンが転校する際にも言えなかった。言葉にしたら、楽しかった想い出が全て嘘になってしまうような気がしたからだ。そして、瓢の実に触れたのもあの晩秋の日が最後だった。
ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる 池冨芳子
作者は、佐怒賀正美主宰「秋」の同人で指導句会も担当している。平成14年に句集『含蓄』を出版した。掲句は、瓢の笛を鳴らすことが難しいことと、〈ことば〉にすると愛が逃げるという表現が響き合う句である。本来愛とは、言葉にしなければ伝わらない。愛を逃さないためにある〈ことば〉が愛を逃してしまうことが意外でもある。言葉の魔術師のはずの俳人にも愛を言語化することは難しいのだ。
言葉にすればするほど、愛が遠ざかることもあるという大人の恋の句なのか、それとも愛の告白をしたことで関係が壊れてしまうような淡い恋のことを詠んだのかは分からない。瓢の笛が子供の遊びであることを思えば、淡い恋のような気もするし、子供に対する母性愛のような気もする。
不器用な男性と違って女性は、愛を告げたがる。男性は「言わなくても分かれよ」みたいなところもあるのだが、女性は言葉を欲しがり、相手が言ってくれない分「好き好き」と伝えてしまう。時には、「好き」という言葉が男性には重く感じることがある。
音階を持つことのない瓢の笛は、どんなに吹いても「ひゅうひゅう」としか鳴らず、単調で高い音は、吹き続ければ耳障りともなる。「好き好き」という摩擦音が鬱陶しく感じるように。
女性は、言葉で愛を表現したがるが、男性は態度で示す。だから、女性にも言葉ではなく態度で示すことを要求する。何をして欲しいのかもはっきりとは言わない。女性は、自身の欲求もはっきりと告げるものである。どこに行きたいとか何が欲しいとかは、好きだからこそ生まれる欲求であり、愛の言葉を聞けない以上は、自分の欲求をどこまで満たしてくれるかで愛を量ることになる。愛の言葉も自分の欲求もちゃんと告げられない男性からすると、恋人の一方的な言葉による愛の欲求は、負担に感じるようになるのだろう。特に男性は、権力心が強い上に甘えたがりである。仕事が忙しい時は、何も言わずに寄り添ってくれ、落ち込んでいる時は慰めて欲しいものだ。「好き」という言葉だけでは、満たされない生き物なのである。
それは、男女の恋の温度差や性格にもよる。男性は逃げるものを追う性格が強いため、愛されていることが分かると次の獲物を追いかけたくなる。女性からすると、恋人になるまでは尽くしてくれた男性が雑な対応しかしなくなると淋しくなるものである。私がこんなに愛しているのに何なのよと責めたくもなる。恋人の心を繋ぎとめるための愛の言葉が、相手の負担になることも知らずに。
言葉は愛を掴むための手段になることもあれば、逃すことにもなる。また、愛の言葉を告げるには、タイミングも重要である。言わなくてはならない場面と言ってはいけない場面がある。それは、男女とも同じだ。
トックンが転校する際に「好きなの」と告げていたら、あの淡い初恋には違った展開があったのかもしれない。アータンがもっと早く告白していたら、マッチから友達ではなく恋愛対象として見て貰えたのかもしれない。あるいは、告白しなければ同志のままでいられたかもしれない。男女間では、愛を言葉にしてはいけないこともあるのだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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