【第21回】
馬のための馬
(2006年凱旋門賞 ディープインパクト帯同馬ピカレスクコート)
帯同馬という存在を筆者が知ったのは競馬を始めてからしばらく経ってからのことだった。
今でこそ日本の競走馬の海外レース出走は盛んとなったが、競馬を見始めた1990年代の頃には年に数頭が遠征を行う程度。2000年代に入ると海外GⅠで結果を残す馬も増え、あっという間に海外レースを見据えてのローテーションが組まれることも珍しくなくなった。
海外の数あるGⅠの中でも特別なレースと言えるのがフランスで行われる凱旋門賞だ。
世界最高峰のレースのうちの一つとも言われ、今までも日本から多くの競走馬たちが挑戦し、そして敗れてきた。
日本競馬の至宝、ディープインパクトも勝つことはできなかった。
当時はクラシック三冠馬のあの最強のディープインパクトが凱旋門賞へ挑むということで大きな話題となった。そして、その話題の一つとしてピカレスクコートのことも小さくだが取り上げられていた。
ピカレスクコートはディープインパクトの帯同馬として共にフランスへ渡った競走馬だ。
帯同馬とはレースに出走する馬の調教パートナーとして、また、移動のストレスを緩和し、馬が寂しくないように同行する馬のことを指す。
つまり、ピカレスクコートはディープインパクトがレース本番で本来の力を発揮できるように、その手助けをするための付き添いというわけだ。
このピカレスクコートは、なんと小説の題材にもなっている。
小川洋子『いつも彼らはどこかに』(新潮社)は「人の孤独を包み込むかのような気高い動物たちの美しさ、優しさを、新鮮な物語に描く小説集。」とあるように、さまざまな動物たちをめぐる連作小説で、この本の最初の短編の重要な存在としてピカレスクコートが登場する。
誰もがディープインパクトについてばかり考えている。集まってくる人々が全員、例外なくディープインパクトだけを見つめる。そのそばにもう一頭いる馬のことなど視界にも入らない。それでもピカレスクコートはひがむでもなく、愚痴をこぼすでもなく、泰然と干し草を食んでいる。生贄となる準備を、ちゃんと整えている。(『いつか彼らはどこかに』「帯同馬」より引用)
主人公である「彼女」は自らの生活の中でディープインパクトの凱旋門賞挑戦の新聞記事を目にするが、ディープインパクトより帯同馬であるピカレスクコートの存在の方が気にかかってしまう。そのことがこの話の肝でもある。ディープインパクトが3着に敗れ、帰国したのちに禁止薬物の検出による失格となったことを新聞は伝えるが、ピカレスクコートについて触れられることはない。
そこでこの話は終わるのだが、現実としてはピカレスクコートもちゃんと日本に帰国している。なんならフランス滞在時に自分もGⅡに出走して2着にもなっている。けれど、熱心な競馬ファンでもない限りそこまでの情報は届かないのが現実だ。競馬を特別好きではない人から見た凱旋門賞をめぐるリアルさがある感じがして、凱旋門賞が近づくと読み返したくなる作品だ。
ひだまりのあなたを撮ればどれにも鴨 大塚凱
句集『或』より引いた。
「あなた」はディープインパクト、「鴨」をピカレスクコートのイメージで読んでみる。
写真の中心にはいつでもディープインパクトが居る。そして、ディープインパクトの背景としてピカレスクコートが存在している。さり気なく写真に入り込む「鴨」だが、決して主役の「あなた」にはなれない。でもしっかりと、映る風景の一部としての役割を果たしている。
この句は句集の中でも筆者が特に好きな句で、イメージが多岐にわたることを許してくれる、そんな寛容さもある句だと感じる。
凱さんもまさかディープインパクトとピカレスクコートとして読まれるとは思ってもいないだろう。
そういえば、凱さんの「凱」は凱旋門賞の凱だな、とふと思った。
今年の凱旋門賞は10月5日、日曜日の23時05分に発走予定。
日本馬はアロヒアリイ、ビザンチンドリーム、クロワデュノールの3頭が出走する。
出走を回避したシンエンペラーの帯同馬ジャックオダモは現地の未勝利戦で2着に奮闘するも、シンエンペラーと共にすでに帰国している。
思うことは色々あるのだが、今年も凱旋門賞発走の時を日本の地から見守りたい。
(2022年凱旋門賞 ステイフーリッシュの応援フラッグ)
【執筆者プロフィール】
笠原小百合(かさはら・さゆり)
1984年生まれ、栃木県出身。埼玉県在住。南風俳句会所属。俳人協会会員。オグリキャップ以来の競馬ファン。引退馬支援活動にも参加する馬好き。ブログ「俳句とみる夢」を運営中。
【笠原小百合の「競馬的名句アルバム」バックナンバー】
【第1回】春泥を突き抜けた黄金の船(2012年皐月賞・ゴールドシップ)
【第2回】馬が馬でなくなるとき(1993年七夕賞・ツインターボ)
【第3回】薔薇の蕾のひらくとき(2010年神戸新聞杯・ローズキングダム)
【第4回】女王の愛した競馬(2010年/2011年エリザベス女王杯・スノーフェアリー)
【第5回】愛された暴君(2013年有馬記念・オルフェーヴル)
【第6回】母の名を継ぐ者(2018年フェブラリーステークス・ノンコノユメ)
【第7回】虹はまだ消えず(2018年 天皇賞(春)・レインボーライン)
【第8回】パドック派の戯言(2003年 天皇賞・秋 シンボリクリスエス)
【第9回】旅路の果て(2006年 朝日杯フューチュリティステークス ドリームジャーニー)
【第10回】母をたずねて(2022年 紫苑ステークス スタニングローズ)
【第11回】馬の名を呼んで(1994年 スプリンターズステークス サクラバクシンオー)
【第12回】或る運命(2003年 府中牝馬ステークス レディパステル&ローズバド)
【第13回】愛の予感(1989年 マイルチャンピオンシップ オグリキャップ)
【第14回】海外からの刺客(2009年 ジャパンカップ コンデュイット)
【第15回】調教師・俳人 武田文吾(1965年 有馬記念 シンザン)
【第16回】雫になる途中(2023年 日経新春杯 ヴェルトライゼンデ)
【第17回】寺山修司と競馬(1977年 京都記念 テンポイント)
【第18回】主役の輝き(2012年 阪神大賞典 オルフェーヴル)
【第19回】白毛馬といふといへども(2022年ヴィクトリアマイル ソダシ)
【第20回】父の帽子(2018年日本ダービー 2着エポカドーロ)
【番外編】ウマ吟行会東京競馬場吟行記