ある期待真白き毛糸編み継ぐは 菖蒲あや【季語=毛糸編む(冬)】

ある期待真白き毛糸編み継ぐは

菖蒲あや
(『あや』)

 菖蒲あやは、路地に生き路地を詠んだ俳人として知られる。大正13年、葛飾区の下町に生れた。尋常小学校卒業後、工場に勤める。戦後まもない昭和22年、職場の句会で岸風三楼に出会い師事。風三楼の所属する富安風生主宰の「若葉」に入会。昭和28年、風三楼が「春嶺」を創刊しそれに参加。昭和42年、43歳の時に第一句集『路地』で第7回俳人協会賞を受賞。平成9年、73歳の時、風三楼の後に主宰を継いだ宮下翠舟の死去により、「春嶺」主宰を継承。他の句集に『あや』(昭和54年)『鶴の天』(平成9年)などがある。

 師である岸風三楼は、富安風生の「中道俳句」を踏まえ「俳句は履歴書」と定義した。菖蒲あやはその影響を受け、自身の生い立ちや暮らしを鮮やかに描いた。特に、自身が生まれ育った下町の路地の景色とその暮らしぶりを生涯にわたって詠み続けた。

  路地に生まれ路地に育ちし祭髪

  おしろいが咲いて子供が育つ路地

  どの路地のどこ曲がっても花八ツ手

  海の色に朝顔咲かせ路地ぐらし

  雪降ると路地は早寝の灯を消しぬ

  風鈴に風のすぐ来る路地暮し

 明るく生き生きと描く下町の景色は、浮世絵のような風情を持つ。

  雪だるまよつてたかつて太らしむ

  花街の昼湯が開いて生姜市

  二階より見えて夜明けの夾竹桃

 風三楼の「俳句は履歴書」の教えの通り、自身の生涯を詳細に描いた。句からは、苦労した生い立ちが見えてくる。父親は炭屋であったが酒ばかり飲んでいて暮らし向きは貧しかったようだ。

  寒雷や地べたに座り炭ひけば

  焼酎のただただ憎し父酔へば

  父病めり壁にオーバーすがりつき

  炭俵担ぐかたちに父逝きし

  初夢の中でも炭をかつぐ父

 少女の頃から炭屋の仕事を手伝い暮らしを支えた。

  二階より見られて父と炭をひく

  泣きたくなる父に代りて炭かつぎ

  炭俵かつぐ乳房を縛されて

 実の母は幼い頃に亡くなり、継母にはいじめられていたようである。家族の愛情に恵まれなかった少女期の記憶は、深い影を落とした。

  大き足布団はみ出し継母逝けり

  継母の忌の素麺つめたくつめたくす

  母恋し壁にかこまれ風邪に寝て

  野菊摘み来世は父母に甘えたき

 孤独と貧困は作者を強くし、俳句への糧となっていった。

  更けし夜の螻蛄に鳴かれて金欲しや

  貧しさもひとりにも馴れ鳳仙花

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