白き掌にコルト凛々として黒し 日野草城【無季】


白き掌にコルト凛々として黒し

日野草城
(『轉轍手』)

日野草城の連作「マダム コルト」の謎を追え(最終回)
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 日野草城ファンの間では「ミヤコホテル」よりも人気の高い「マダム コルト」。五句連作のフィクションで、うち四句が無季俳句。新興俳句に舵を切った草城の絶頂期の句と思っているのは私だけであろうか。その問題作を改めて鑑賞したい。

マダム コルト
春の夜の自動拳銃コルト夫人の手に狎るる
白き掌にコルト凛々として黒し
夫人嬋娟せんけんとして七人の敵を持つ
愛しコルト秘む必殺の弾丸たまを八つ
コルト睡いぬロリガンにほふ乳房ちちの蔭
  
 一句目は、第三句集『昨日の花』所収の〈春の夜や拳銃(コルト)を愛す夫人の手〉が原型と思われる。同句集には、モダンな夫人を描いた句が散見される。二句目は、夫人の手に握られたコルトが男性のメタファーのようである。後述する草城の小説でもそういう匂わせがある。三句目の〈嬋娟〉とは、美しくあでやかなこと。七人の敵を持つことから女スパイなのではないかと推測される。四句目は、後編で述べた通り拳銃は八連発の「コルトM1903」であった可能性が高い。七人の敵に対し八連発であるところに想像が膨らむ。五句目は、Y氏によれば「銃撃(暗殺?)を終えた女が銃を脇のホルスターに戻した時に、銃の熱か高揚した女の体温で香水が立ちのぼった」との解釈。普段から銃をショルダーホルスターに入れ、乳房の蔭に隠し持っていたということであろう。〈ロリガン〉は、フランスの高級香水のこと。この頃の草城は、海外製品を積極的に詠んだ。モダニズム、エロチシズム、そしてフィクション。『轉轍手』の連作のなかでもひと際目を惹く内容である。

 復本一郎氏の著書『日野草城 俳句を変えた男』によれば、「マダム コルト」の初出は、昭和十二年「婦人公論」四月号で草城37歳の時とのこと。婦人向けの雑誌ということで、エンターテインメント性の高い内容にしたと思われる。復本一郎氏の調べたところによると、発表から11年後の昭和に二十三年「現代俳句」七月号にて、「マダム コルト」を題材とした小説「縷紅荘(るこうそう)―大人のためのメルヘン」を発表している。草城48歳の頃で、病気のため退職を余儀なくされた時期である。
 内容はというと、別荘「縷紅荘」の所有者である夫人が画家の津田に拳銃を差し出す代わりに肉体関係を迫るというもの。夫人の夫には愛人がおり、名ばかりの妻の地位に倦んでいた。津田は半ば強制的に関係を持つものの夫人に惹かれてゆく。しかし、夫人から夫との処理が終わるまで逢わない方が良いと言われ「縷紅荘」を去る。発表当時の評判は芳しくなかったらしい。榎本一郎氏は、津田の心情を情景描写で表現しているところを評価している。内容的には、連作の「マダム コルト」の方が断然面白い。

 草城は、俳句誌にたびたび小説を発表してきた。もともと、物語を想像することが得意であったのであろう。だが、草城の小説として知られている『新月』は、第三高等学校時代の初恋のことが描かれており、事実に近い内容とされている。『新月』は昭和7年、31歳の頃に「馬酔木」に発表した。その4年前に発表した小説『昨日の花』は、京大時代の恋人佐藤愛子のことを書いており、これもまた事実に近い内容となっている。佐藤愛子については、伊丹啓子氏が著書『日野草城伝』にて丹念に調べ考察を重ねている。腎臓を病んでいた愛子は主治医土屋尚美の診察を受けるため京都の病院に通っており、草城とは友人を介して知り合った。二人はたちまち恋仲となり結婚の約束まで交わした。愛子の病状は良くなったり悪くなったりを繰り返し、数年の歳月が過ぎた。草城は京大を卒業し就職する。だが愛子の病状は下降線をたどり、主治医が開業した南紀白浜の地で療養することになった。草城は、愛子の療養地まで逢いにゆき、数日間を共に過ごす。その頃から愛子と主治医の土屋尚美の間には強い信頼関係があったとされる。二年後には、草城の兄が死去し家督を継ぐことになる。愛子の病気のことを考慮した上で草城は別れを決意し、主治医の土屋にゆだねるという形で身を引く。愛子は土屋と結婚するものの、二年後に腎臓結核のため死去。草城は、愛子をモデルとした小説をいくつか残している。第一句集『花氷』には、愛子との恋愛模様を詠んだ句が多く収録されている。また、結婚した愛子に句集の跋文を依頼している。

 草城の20代から30代の頃の小説が全て事実に近い内容というわけではなく、フィクションのものもある。ただ、小説はフィクションを書いても良いのにノンフィクションを書いたり、ノンフィクションが望ましいとされる俳句ではフィクションを詠んだりと、屈折したところがある。

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