【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#26-3】


愛媛県南予地方と宇和島の牛鬼(3)

青木亮人(愛媛大学准教授)


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南予地方の牛鬼を描いた文学で著名なのは、獅子文六『てんやわんわ』(昭和二十四年)だろうか。彼は敗戦後、食糧難やGHQの検挙を恐れて妻の郷里の岩松(現・宇和島市津島町)に疎開しており、そこで見聞した秋祭りの様子を小説に描いている。

  「やア、これが、名物の牛鬼だな」

  一見して、私は、それと知った。

  通りのカミの方から、喚声と、そして、大汽船の汽笛のような、異様な音響と共に、赤茶色の偉大な怪物が、家々の瓦を舐めるような、長い首を振り立てながら、進んでくるのである。それは、前世界に棲んでいた、巨大な爬虫類を連想させる姿で、二本の角を立てた頭部は、青鬼のようなお面をとりつけ、尾部には、鋭い剣が突き出していた。どう見ても、牛の観念は感じられない、怪物であった。

文六は小説のクライマックスとして秋祭りに沸き上がる相生町(岩松)の様子を描き、牛鬼も登場させている。映画版『てんやわんや』(昭和二十五年)では作品舞台の岩松でロケが敢行され、敗戦後まもない町並みを牛鬼が練り歩く様子が撮影された。そのため、戦後の高度経済成長期を経て次々と壊された瓦屋根の家々の風情が映画に残されることとなり、図らずも貴重な記録となっている。

空き地の壁に描かれた獅子文六。岩松が舞台となった『てんやわんや』『娘と私』の登場人物も描かれている。(青木撮影)

岩松に約二年ほど疎開していた文六は、牛鬼の乱舞や秋祭りの狂騒じみた熱気が強く印象的だったらしく、多くの作品で言及し続けた。次は南予独特の風習(鉢盛料理など)にも触れながら秋祭りの昂揚感を伝えた文章だ。

  祭りというものを、東京あたりの考えで割切るわけにいかず、盆や正月と比較にならない、一年一度の晴れの日で、老若男女、士農工商――士といったって、駐在巡査ぐらいなものだが、その巡査がまっ赤な顔で、町を酔って歩くほどで、娘が新しい衣服をおろすのもお祭り、戸棚へしまった蜜柑や栗も、お祭りのためといえば、子供も納得するのである。宵宮を入れて二日間、この地方独特の鉢盛料理がうず高く、文字どおりの大盤振舞いで、町の人は東京の年賀客のように、各戸を回って歩く。一家一族の親睦の機会で、来往は正月よりも遙かに盛んである。(略)揃いの白衣に白鉢巻、ヮッショィワッショイなんていわずに、エイサエイサと、暁の海に船を漕ぎ出すような、清らかな掛声である。そのオミコシが町を揉んで歩く時、盃を持つ者もそれを下に置いて、パンパンと手を拍って、伏し拝む。爺さん婆さんばかりでない。若い者も心から拍手三拝、バラバラお賽銭を投げる。(略)軒提灯、紅自の造花――そんなものの一切ない町筋が、間が抜けるだろうと思ったら大ちがい、オミコシを始め、牛鬼、ヨイワセ、船なぞという独特のネリモノが、絶えず往来する。

岩松の秋祭りは三島神社の祭礼であり、牛鬼や四つ太鼓(ヨイヤセ)、御船、五つ鹿踊り等が練り歩く。文六の筆致からは往事の秋祭りの昂揚感が伝わるようで、かつての岩松のさざめきが蘇るようだ。

※現在の岩松の様子は、下記のリンク先が分かりやすい。

(4へ続く)

【次回は5月15日ごろ配信予定です】


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生れ。近現代俳句研究、愛媛大学准教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


【「趣味と写真と、ときどき俳句と」バックナンバー】

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>>[#13-2] 松山藩主松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について(2)
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