二 先行研究概観
二―一 第四回稲畑汀子賞選考過程
最も重要になるのは第四回稲畑汀子賞を受賞した選考過程である。協会会長の井上泰至氏、協会評議員の山田閏子氏、協会外から「汀」主宰の井上弘美氏による選考が行われ、その結果が同協会『花鳥諷詠』二〇二六年七月号(通巻四六〇号)に記録されている。伊野部哲也『永永無窮』(文學の森)と本論で取り上げる抜井諒一『残影』(KADOKAWA)の二作が受賞した[二]。
三者の選評を比較すると、『残影』に対する評価には共通して、作者の高度な写生力と、対象を凝視することによって肉眼では捉えきれないものまで表現する力が認められていることが分かる。一方で、そこから見出された作者像や今後への期待には、それぞれ異なる視点が示される。
井上は、衒いのない写生や類句を避ける表現上の選択、さらに句の配列・編集に至るまでの周到さを評価し、これまで数々の賞を受賞してきた作者の高い技量を指摘している。その一方で、完成度の高い写生句が連続することによる息が詰まるような印象にも言及し、最終章の「花下残影」に表れた〈こんなにも桜と人とゐて独り〉に、作者の葛藤や孤独、閉塞感を読み取っている。井上氏は、こうした内面の露出を、これまでの写生をさらに深化させていく契機として捉え、「より本格的な写生の高み」へ進む作者の可能性を評価している。
山田は、写生句の中に作者の「豊かな感性」が表れている点を評価する。特に〈命終の匂ひに蟻の集まりぬ〉や〈真夜中の闇かき回す扇風機〉などを挙げ、視覚だけでなく嗅覚や聴覚など「五感」を働かせて対象を捉えていることを指摘する。また、〈残照の中へ中へと赤蜻蛉〉や〈春の田におろす真赤なトラクター〉などについては、感傷に流されず、季題と真正面から向き合った「真っ当な写生句」と評価している。そして〈こんなにも桜と人とゐて独り〉については、特定の作者だけに限定されない普遍的な「孤独感」が自然に表現されているとし、写生から孤独までを扱う作者の作句領域の広さを評価している。
これに対して井上弘美氏は、『残影』を第二句集『金色』以後約五年間の作品を収めた第三句集として捉え、句集全体の構成や作品の展開に注目する。〈もがきたる蟻の形にへこむ水〉や〈冬晴やこれから割れるしやぼん玉〉などを取り上げ、対象を単純に写し取るのではなく、対象を凝視することによって「肉眼では捉えられないもの」まで表現している点を評価する。そして、そのような柔軟な発想や対象への凝視の背後に「作者自身の心象」が重なって見えることを指摘する。特に最終章の「花下残影」については、〈こんなにも桜と人とゐて独り〉に表れる「独り」の意味が句集全体を読み終えることでより強く感じられるとし、〈巡り来て最後は故郷の花へ〉に示される故郷への回帰に、作者の「次なる境地」への可能性を見出している。
このように三者の選評は、いずれも『残影』の基盤にある写生の確かさを認めながら、そこに作者の感性や孤独、心象が重なっていることを指摘している点で共通している。特に、句集の帯句でもある〈こんなにも桜と人とゐて独り〉は、三者すべてが取り上げており、『残影』を読む上で重要な一句として位置づけられている。一方、井上泰至氏が「葛藤」や「閉塞感」を、山田氏が「誰もがふと覚える孤独感」を、井上弘美氏が句集全体を読み終えた際に増す「独り」の重量感を指摘していることからも、同じ一句に対して異なる角度から作者の内面が読み取られていることが分かる。したがって、『残影』は高度な写生技術によって自然や事物を捉えた句集であると同時に、その写生の積み重ねの中から作者自身の心象や孤独が浮かび上がる作品として評価されたといえる。
二―二 『残影』への言及
句集『残影』については、若杉朋哉、星晶子、千野千佳による鑑賞・書評が確認できるほか、第四回稲畑汀子賞受賞時の抜井諒一自身のスピーチにおいても、本句集の成立背景や作者としての意識が語られている。これらの資料を比較すると、『残影』については、主として「現場に即した写生」「平明な言葉による具体的な描写」「類型化を避けた独自の発見」「客観写生の背後にある作者の心情」「『過ぎ去った時間や日々の翳り』の主題」という点から評価されていることが分かる。
若杉朋哉[三]は、抜井を「伝統派」と位置づけたうえで、伝統派における課題として類型化を挙げ、それをいかに打破して句を生き生きとしたものにするかという観点から『残影』を評価している。若杉は、抜井が「現場で作ることを大事に」している点に注目し、それによって叙情に傾きすぎることなく、的確な描写を一句ごとに実現していると指摘する。そして、「どの句にもしっかりとした現場感がある」ことが、句のリアリティにつながっていると評価している。実際に若杉[四]の取り上げる句も、〈田の中に自転車停めて耕しぬ〉の「田の中に」や、〈次の波来るまで春の雨の音〉の「春の雨の音」など、具体的な場面や感覚を捉えた句が中心となっている。また、〈景色より先に毛虫が目に入る〉や〈ががんぼの何処へ行つても行きどまり〉などには、対象を写生しながらも滑稽味を生み出す独自の視点が認められている。
星晶子[五]「句集『残影』(抜井諒一著)を読む」もまた、抜井の句作を客観写生の観点から捉えている。星は、写生句が「類想や既視感に陥りやすい」ことを指摘しながら、「目の前のものを平明な言葉で詠みながら、いかに作者固有の世界へと引き寄せるか」という点に『残影』の魅力を見出している。特に、「何を見るか、どこまで見るか、そして何を言わずに残すか」という表現上の選択を重視しており、写生を単なる対象の再現ではなく、作者独自の視点によって対象を切り取る営みとして評価している点が特徴的だ。さらに星[六]は、『残影』の特徴として、客観的な景の背後に「作者の心象がほのかに重なって見える」ことを挙げる。感情を直接的に語るのではなく、写生された景物を通して作者の内面が浮かび上がる点に注目しており、〈白靴の知らざる森の暗さかな〉〈ほうたるの飛ぶには闇がまだ足りぬ〉〈消えさうな流燈ばかり見てしまふ〉〈遠ざかる石鹸玉もう風のもの〉などをその例として挙げている。星[七]は、これらの句に共通して「闇と光、生と死、そして遠ざかるものや消えてゆくもの」を見つめる姿勢を認め、作者自身が語る「過ぎ去った時間や日々の翳り」と句集名『残影』とが響き合っていると評価している。
千野千佳[八]「抜井諒一句集『残影』」では、より平明で具体的な特徴に焦点が当てられている。千野[九]は『残影』を「日常の風景が平易な言葉で表現されていて、とても読みやすい句集」と言及する。また、同じ季語で複数の句を作り、それらを句集に収録している点にも注目している。選句では、〈岩魚みな険しき貌に焼き上がる〉〈大百足虫畳の縁に吸はれけり〉〈秋蝶を追ふ追ひついてしまひたる〉〈巣の燕くるりと尻を向けて糞〉など、動物や虫を詠んだ句を多く取り上げている。これらは、対象を細かく観察し、その動作や形態を具体的に捉えることで、日常的な景に独特の面白さを与えている句といえる。また、〈田の中に自転車停めて耕しぬ〉〈菜の花やげんこつほどのにぎり飯〉〈花の闇から瀬戸物を洗ふ音〉など、生活の一場面を具体的に切り取った句も選ばれており、若杉[一〇]が指摘した現場感やリアリティと重なる評価が見られる。
一方、第四回稲畑汀子賞受賞時の抜井自身のスピーチ[一一]は、以上の書評に見られる評価を、作者自身の言葉から確認できる資料である。
このたびは、第四回稲畑汀子賞という大変栄誉ある賞を賜り、深く感謝しております。選考に携わってくださった皆様、また日頃よりご指導、ご支援をいただいている皆様に、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
受賞作『残影』は、私にとって第三句集にあたります。第二句集『金色』から五年、より良い作品を目指して技術や感性を磨きながら句作に取り組んでまいりました。本句集では、それに加えて自分が本当に表現したいものに向き合い、過ぎ去った時間や日々の翳りを見つめながら一冊にまとめました。
俳句を作ることは大きな喜びですが、作品を世に問う以上、自らの実力を示すためではなく、本当に心の動いたものを誠実に詠み、その感動や発見を読者と分かち合いたいという思いを大切にしたいと考えています。
この受賞を大きな励みとしながら、これからも真摯に自分自身と向き合い、さらなる俳句の境地を求めて研鑽を重ね、次の一冊へ向けて歩んでまいります。
抜井は『残影』について、第二句集『金色』から五年間、「より良い作品を目指して技術や感性を磨きながら句作に取り組んで」きたことに加え、「自分が本当に表現したいものに向き合い、過ぎ去った時間や日々の翳りを見つめながら一冊にまとめた」と述べている。ここから、『残影』が単なる作品の集積ではなく、作者自身の表現したいものを意識して編まれた句集であることが分かる。
また、抜井は俳句について、「本当に心の動いたものを誠実に詠み、その感動や発見を読者と分かち合いたい」という姿勢を示している。この感動や発見という言葉は、若杉[一二]が評価した現場感や発見、星[一三]が評価した作者固有の世界とも通じるものである。すなわち、『残影』における写生は、単に目の前の景を客観的に記録するためのものではなく、作者自身が現場で得た発見や心の動きを、過度に説明することなく読者に伝えるための方法として捉えられていると考えられる。
以上の資料を総合すると、『残影』は、伝統的な客観写生を基盤としながら、具体的な現場の観察と平明な言葉によって、作者固有の発見を一句の中に定着させている句集として評価されているといえる。特に若杉[一四]のいう現場感、星[一五]のいう作者固有の世界、千野[一六]のいう日常の風景と平易な言葉は、いずれも抜井の写生のあり方を異なる角度から捉えたものと考えられる。また、その写生の背後には、作者自身が語る「過ぎ去った時間や日々の翳り」が存在しており、星が指摘する「闇と光、生と死、遠ざかるものや消えてゆくもの」というモチーフとも結びついている。
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