団欒も夜業も同じ灯の中に 抜井諒一【季語=夜業(秋)】

三 「花下残影」比較

第三六回日本伝統俳句協会新人賞を受賞した「花下残影」[一七]句集『残影』に収録されている「花下残影」
居酒屋の裏はまつくら初桜
花の闇から瀬戸物を洗ふ音
参道の一夜に花茶屋のあまた
旅止めて近所の花を見ることに
さかしまに鳥の尾揺るる花の枝
花めぐり荷よりも小さき児を連れて
ひと房のひかりぼつてり花曇
満開の桜の中の駐屯地
ことごとく赤子寝てゐる花の昼
弁当を広ぐ桜に背を向くる
自己紹介直立不動花莚
花莚たたみて会社へと戻る
なりゆきにまかせてをれば花人に
こんなにも桜と人とゐて独り
人と観る色一人見る花の色
花下の紙芝居に小さき人だかり
靴の跡だらけとなりぬ花の下
麓から鐘の音かすか夕桜
花を背にすれば殺風景な街
花あかり潜る回転木馬かな
夕影の薄れしよりの花明かり
ひとつとて同じ風筋なき落花
大方は散りくつきりと花の影
巡り来て最後は故郷の花へ
拾ひ集めし花屑をぱつと捨て
丘からも対岸からも飛花落花
目の前は止みて遥かは花吹雪
散る花に後ろ姿の人ばかり
藩邸の跡地に残る桜かな
残花より又もひとひら尚ひとひら
居酒屋の裏はまつくら初桜
花の闇から瀬戸物を洗ふ音
参道の一夜に花茶屋のあまた
旅止めて近所の花を見ることに
手の届くところに鳥や花の枝
花めぐり荷よりも小さき児を連れて
小学校中学校とさくら狩
ひと房のひかりぼつてり花曇
満開の桜の中の駐屯地
どの花の下で弁当開かうか
弁当を広ぐ桜に背を向くる
こんなにも桜と人とゐて独り
ランドセルどかと置きたる花筵
自己紹介直立不動花莚
花を見るひともくもくと走る人
なりゆきにまかせてをれば花人に
花下の紙芝居に小さき人だかり
靴の跡だらけとなりぬ花の下
花あかり潜る回転木馬かな
麓から鐘の音かすか夕桜
夕影の薄れしよりの花明かり
ひとつとて同じ風筋なき落花
大方は散りくつきりと花の影
花を背にすれば殺風景な街
ひとひらも水に沈まぬ桜かな
巡り来て最後は故郷の花へ
拾ひ集めし花屑をぱつと捨て
散る花に後ろ姿の人ばかり
藩邸の跡地に残る桜かな
残花より又もひとひら尚ひとひら

 まず注目したのは「花下残影」の改稿についてである。どちらの「花下残影」も収録句数は三〇句であるが、六句改稿されている。その他、句の置かれる位置が変わったところも数か所あるが今回は構成する要素に着目してゆくため、句の削除、また追加が行われた箇所のみ下線をつける。比較しやすいように表にまとめた。

 第三六回日本伝統俳句協会新人賞を受賞した「花下残影」と、句集『残影』に収録された同作とを比較すると、冒頭と結末、ほか収録句において共通した構成・要素を持つことが分かる。両者〈居酒屋の裏はまつくら初桜〉に始まり、〈残花より又もひとひら尚ひとひら〉で終わる。このことから、句集収録時にも、作品の始点と終点となる枠組みは維持されているといえる。

 また、両作品に共通しているのは、単に個々の句が残されているということだけではない。「花の闇」「花茶屋」「花めぐり」「花曇」「満開の桜」「花莚」「花人」「花下の紙芝居」「夕桜」「花明かり」「落花」「花吹雪」「残花」など、桜の開花から満開、そして散りゆくまでの時間的な推移が作品全体を貫いている。さらに、花を見る人々の姿や、弁当、子ども、紙芝居、会社員、観光客など、桜の下に集うさまざまな人間の生活が描かれている点も共通する。したがって、「花下残影」は、桜そのものの変化だけでなく、その周囲に現れる人間の姿を重ねながら、花の盛りから落花、残花へと視線を移していく構成を基本としていると考えられる。

 その一方で、句集『残影』への収録に際しては、いくつかの句が削除・追加されている。まず、受賞作から削除された句として、〈さかしまに鳥の尾揺るる花の枝〉〈ことごとく赤子寝てゐる花の昼〉〈花筵たたみて会社へと戻る〉〈人と観る色一人見る花の色〉〈丘からも対岸からも飛花落花〉〈目の前は止みて遥かは花吹雪〉が挙げられる。このうち〈さかしまに〉は、句集では〈手の届くところに鳥や花の枝〉に変更されている。また、〈花筵〉は削除され、〈小学校中学校とさくら狩〉と子どもの様子が見えてくる句が新たに加えられている。さらに、〈弁当を〉の前に、句集では〈どの花の下で弁当開かうか〉が置かれ、同じ弁当をめぐる場面でも異なる句が加えられている。

 このほか、〈ことごとく〉は句集では姿を消し、その一方で〈ランドセルどかと置きたる花筵〉〈ひとひらも水に沈まぬ桜かな〉が新たに加えられている。また、〈人と観る〉にみられた「人と観る/一人見る」という対比は、〈花を見るひともくもくと走る人〉にかたちを変えて取り入れられている。そして、受賞作の〈丘からも〉〈目の前は〉の二句も句集では削除されている。

 私は、この改稿から、「花下残影」が桜を媒介として人間の生活を描く作品へと、その性格をより明確にしていったのではないかと考える。桜は作品の始まりから終わりまで一貫して存在するが、その桜の下にいる人々は一様ではない。弁当を広げる人、子どもを連れた人、走る人、ランドセルを置く子どもなど、それぞれが異なる時間を生きている。受賞作にも赤子や会社員などの人間は描かれているが、句集版では、こうした人々の姿がより具体的な生活の場面として描かれるようになっている。これによって、桜の美しさだけでなく、「桜の下に人がいる」という光景そのものが作品の重要な要素となっているように思われる。したがって、この改稿は、桜の景を整理したというだけでなく、桜を中心とした人間の営みをより鮮明にする方向への推敲であったと評価できる。

 さらに、「花下残影」の終盤には、〈大方は散りくつきりと花の影〉〈花を背にすれば殺風景な街〉〈拾ひ集めし花屑をぱつと捨て〉〈散る花に後ろ姿の人ばかり〉〈残花より又もひとひら尚ひとひら〉と、花そのものから「花の影」「花屑」「後ろ姿」へと描写の中心が移っていく。ここでは、満開の桜そのものよりも、桜が散った後に残されるものへと視線が向けられているといえる。そう考えるならば、「残影」とは単に散った桜の姿を指すのではなく、桜の下で過ごした人々の姿や、その時間の記憶をも含むものとして捉えることができるのではないだろうか。句集版において、人間の具体的な姿を描く句が加えられたことは、この「残影」という作品の主題をより強く浮かび上がらせるものとなっている。すなわち、改稿によって「花下残影」は、桜とともに過ぎていく人間の時間や、その後に残る記憶までも描く作品へと深化したと考えられる。

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