幼子の手の腥き春の空 飯島晴子【季語=春の空(春)】


幼子の手の腥き春の空)

飯島晴子

晴子のエッセイに「わが赤ん坊体験」というものがある。その中で、晴子は孫が生まれた際に、「赤ん坊の取扱いについて全く自信のないことにうろたえた」と言う。生まれたばかりの孫の「まだ何にも被われない命の反応の敏感さに畏れをも」ち、その子が「目も見え耳も聞えるに従って反応の神秘性は消えて、平凡で健康な赤ん坊に育っていった」と続ける。さらに、「人間は赤ん坊よりも、物心ついて人間らしくなってからの方が、可愛いものは可愛い」と言うに至る。

一方で、暗喩的に赤子を描いている句も含めて、晴子には赤子俳句が案外多く、しかもそれらは晴子俳句のど真ん中であると言ってもよい。逆に、成長した子供の句はさほど多くない。晴子俳句を支えるものが「愛」よりも「畏れ」だということのあらわれだろう。

では掲句の「幼子」はどうだろう。

私には、この「幼子」は、神秘的なもの、霊的なものを失う只中にいるのだと思われる。柔らかい春の空の下の柔らかい掌。平たくて、少し起伏のあるもの。清潔な人間になってゆく過程でなお残る獣の腥さ。ささやかな神秘を取り逃すまいとするところが晴子俳句の迫力であり、その神秘を惜しむところに晴子の一つの叙情があると思っている。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


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