遅れて着く花粉まみれの人喰沼
飯島晴子
昭和四十七年、晴子は渡良瀬遊水地を二度歩いている。二度目の訪問で、掲句に加え〈紅梅であつたかもしれぬ荒地の橋〉〈どろやなぎなまやさしくも菩薩見え〉〈葦茂る平たい乳房かしづかれ〉〈体刑の青葦の泥かゞやけとよ〉〈足だるく川筋の葱喰ひいそぐ〉を作ったと思われる。その際晴子は、「芦を刈って葭簀を編んで、鯉や鰻をとって」暮らしている男にたまたま会い、自転車の荷台に乗せてもらい色々と案内してもらったらしい。そもそも渡良瀬遊水地は元々足尾銅山の汚染地帯であり、住民が移動を強いられたあと、蘆が蔓延ったのである。晴子の出会った男は、蘆原の中の藁屋根の家に住み、きわめて原始的な生活を営んでいたのだという。晴子は、「自然と人間、人間と人間との、歴史のからみ合いの複雑さを思わないわけにはいかない」と言い、「眼前の枯芦原は、この上なく単調で静まりかえっているのでかえって、歴史というものをはげしく想像さすところがあった」と続ける。
掲句にはまさにその交錯が現れている。花粉をびっしりつけた白楊をほとりに置く沼は自然の姿そのもの。しかし「人喰沼」と言うからにはすでに、人間のつくりあげた枠組みの中で沼が捉えられている。それに、足尾銅山にまつわる問題という文脈も踏まえれば、「人喰」には、「人間と人間との……からみ合い」のニュアンスも込められているかもしれない。そしてそこに今まさに、この作中主体が「遅れて着く」のである。言葉を通して、晴子はその「歴史のからみ合いの複雑さ」に切り込み、新たな断面を現出させた。
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私自身栃木に赴任中であり、三月には渡良瀬遊水地の蘆焼を見に行った。遮るもののない視界の広範囲に炎と黒煙が上がり、かなり迫力のある光景だった。枯蘆原から追いやられた狸が、ゆきどころなく彷徨っている様子もみられて可愛かった。全く偶然、同時にそこを訪れていた行方克巳先生は、疾走する猪の群れに出会ったという。晴子のことを思えば大変情けないが、私はずいぶん気楽に見物するばかりであった。
(小山玄紀)
【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員
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【小山玄紀のバックナンバー】
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>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
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