日光に底力つく桐の花
飯島晴子
「底力」という言葉の広さが良い。歩いたり、言葉を扱ったりという、人間として当たり前のさまざまな行為に必要な「底力」を日光から得る。一枚の大きな絵の底の方に、日常のさまざまなことを行う人々が小さく一斉に見えてくるような感じがある。同時に、桐の咲くような山のちかく、適度にやわらかい土の上をゆく踏みごたえが確かに感じられる。
「言葉桐の花は」という文章で、晴子は「実物の桐の花がどのように言葉桐の花に変るか」について述べている。「詩の言葉と実物との間には、解明不可能の深い闇の溝が横たわっているという畏れを、もう一度鮮らしく持ち直さなければならない」、「不条理の深い闇の溝を思い切ってとび越えるしかない」と言う。そのためには「実物の桐の花と、言葉の桐の花との間に割り込んでこようとするものを、必死に退ける」、「言葉桐の花は、何にも拠らず直截に出現しなければ、詩の言葉、俳句の言葉にはならない」と続けるに至る。
晴子がここであえて「桐の花」を例として挙げたのはなぜだろう。季語、さらには言葉ならばなんでもよさそうなものである。「実物と言葉との間に割り込んでこようとするもの」の多い、すなわち本意の分厚い、象徴性の高い言葉ならば「桜」などいくらでもありそうだ。
その一つの答は、「実物の桐の花」を晴子が好きというところにあろう。実際、〈山かぞへ川かぞへ来し桐の花〉という句(これ自体は平凡だと私は思うし、晴子自身もあまり納得していなさそうである)の自句自解に、「桐の花は私の好きな花である」と明言している。好きという感情もまた、「実物と言葉との間に割り込んでこようとするもの」の一つだ。ちなみに、以前「鶯というのもなぜか私の好みの題材」という晴子の言葉を引いたが、「題材」というのは「実物」とは少し違うと思われる。「題材」と言うとき、すでに実物から言葉への道のりの入口に立って、「不条理の深い闇の溝」を見据えているだろう。
晴子は、桐の花は花そのものを好み、鶯は題材として好んでいるのである。それでも鶯の句が少ないのは、やはりなかなか「言葉鶯」が出現しないからであろう。
では桐の花はどうか。勿論「言葉桐の花は」という文章を書いている時点で、桐の花を題材にしたいとは思っていたことはわかる。「毎年新しい思い出桐の花を眺めるが、なかなか句に定着しない」とも言っている。しかしながら、〈山かぞへ〉の句の時点では、晴子は実物桐の花を前にして「深い闇の溝」さえ見えたことがなかったのかもしれない。やはり「好き」という気持ちが間に入ってきたのかもしれない。
掲句はそれよりずっと後、遺句集に収められた句である。〈桐咲いてほつそり育つ男の子〉もまた、晩年の『儚々』所載。「間に割り込んでこようとするものを、必死に退ける」精神力を手に入れるには、年月が必要だったようである。
(小山玄紀)
【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員
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