蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱【季語=蝶(春)】

よ旅は車体を擦つてもつづく

大塚凱
(『或』より)


約二ヶ月間、全九回に渡って書かせて頂いたこの「ハイクノミカタ」の連載も、ぼくの担当する水曜日は今回で最終回を迎えた。

それなりの量の文章の締切が毎週やってくるという状況は、その最中にいるときはなかなか大変だったけれど、いざ終わってしまうと楽しく、あっという間の時間だったようにも感じられる。

私的な趣味(かつライフワーク)である「旅」を主たるテーマとしてそれにまつわる俳句を紹介してきたが、折角なので最後に鑑賞する句も極私的リスペクトを優先して、初学の頃から最も注目し続けてきた俳人のものを取り上げさせて頂きたいと思う。

尚、ここ数回で紹介した句から見ると季語が春に遡ることになるが、どうしても最後はこの句で終えたかったのでご容赦頂きたい。

つい先日上梓されたばかりの大塚凱さんの句集「或」に収められた一句だ。

  蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱

凱さん特有の短い切れを含む上五から一句は始まる。

「蝶よ」と呼びかける主体は、今まさに旅のなかに在る。

その旅は心地の良いことばかりが起きるとは限らない。むしろ日常の対極にある「旅」という時間には不測の事態や細かなストレスはつきものだ。

そんな中で、この句の作中主体は自らを目的地まで運んでくれる車を壁か何かに擦ってしまった。それは単に気持ちの滅入る出来事であるだけでなく、この先の旅路の過酷さや不穏さを暗示しているようにも思えてくる。ここまでの道のりで溜まった見えない疲れも、どっと溢れだしてくる。

不意に前進と停滞の狭間に置かれた自分を、この作中主体はどこか諦観を持って眺めているようにも、或いは鼓舞しているようにも見える。

呼びかけている対象は眼の前を過ぎった「蝶」であると同時に、その蝶に重ねた自分自身の姿でもあるのではないか。

儚く薄い翅しか持たぬ蝶は、それでもどこかを目指してその翅をはためかせ続ける。

この作中主体も同じように辿り着くべき場所を持ち、そこへ向けて車を走らせ続ける。

自らの意志で出立を覚悟し、アクセルを踏み込んだ以上は前に進むしかない。もう引き返せないところまで来てしまったのだ。

もちろん何ごとにも終わりはある。あらゆる「旅」も例外ではない。ただ、それは車体を擦った「今」ではない。

傷だらけの車と疲れ切った自分が旅路の中でどれだけ情けなく小さく思えても、その場所の景色を見るまで旅はまだつづく。

そしてそれをつづけることが出来るのは、他ならぬ「小さな自分」の意志だけなのだ。 

旅は良く人生に譬えられる。大袈裟だなと思うこともあるが、共通項を見出すことも確かに多々ある。

掲句のように無数のハプニングや障壁が待ち構えていても、人生は容赦なく続いてゆくし、そこから降りるわけにはいかない。

結局旅も人生も、始めた(始まった)以上は絶え間なく突きつけられる現実に折り合いをつけながら楽しんでゆくしかないし、その流れの中でしか見つけられない大事なものを探したり、たまに見つけたりすることが、人を人たらしめているのではないかとも思うのである。

最後になりましたがこの二ヶ月間、「旅」という個人的関心に基づいたテーマに沿った連載にお付き合いくださった多くの読者のみなさま、執筆の機会を与えてくださった堀切克洋さん、本当にありがとうございました。

まさに「長旅」といった心地でしたが、先述したとおり俳句人生という旅もまだまだ続いてゆきます。

またどこかでみなさんと何らかの形でご一緒したり、つながることができたらうれしいです。

その時までまた一句ずつ一歩ずつ、ゆっくり進んでいきたいと思いますので、この先もよろしくお願いします。

内野義悠


【執筆者プロフィール】
内野義悠(うちの・ぎゆう)
1988年 埼玉県生まれ。

2018年 作句開始。炎環入会。
2020年 第25回炎環新人賞。炎環同人。
2022年 第6回円錐新鋭作品賞 澤好摩奨励賞。
2023年 同人誌豆の木参加。
    第40回兜太現代俳句新人賞 佳作。
    第6回俳句四季新人奨励賞。
俳句同人リブラ参加。
2024年 第1回鱗kokera賞。
    俳句ネプリ「メグルク」創刊。

炎環同人・リブラ同人・豆の木同人。
俳句ネプリ「メグルク」メンバー。
現代俳句協会会員・俳人協会会員。
馬好き、旅好き。


【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱

【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
〔4月18日〕朝寝して居り電話又鳴つてをり 星野立子
〔4月19日〕蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月
〔4月20日〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
〔4月22日〕早蕨の袖から袖へ噂めぐり 楠本奇蹄
〔4月23日〕夜間航海たちまち飽きて春の星 青木ともじ
〔4月24日〕次の世は雑木山にて芽吹きたし 池田澄子
〔4月25日〕ゆく春や心に秘めて育つもの 松尾いはほ
〔4月26日〕山鳩の低音開く朝霞 高橋透水
〔4月27日〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
〔4月28日〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
〔4月29日〕造形を馬二匹駆け微風あり 超文学宣言
〔4月30日〕春の夢遠くの人に会ひに行く 西山ゆりこ


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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