【俳誌ロングインタビュー】
ハイシノミカタ【#3】
「街」(今井聖主宰)
好評企画!
「ハイシノミカタ」は、さまざまな俳句雑誌(結社誌・同人誌・総合誌)の編集のうらがわについて、がっつり訊いてしまおうというコーナーです。
【#3】は、今井聖さんが主宰をつとめる「街」。
編集長の竹内宗一郎さんに、じっくりとお話をうかがいました。
25周年! 加藤楸邨門の「街」
――松野苑子さん(第62回角川俳句賞)や北大路翼さん(「屍派」家元)が所属する「街」は、個性的な作家がたくさんいるので、本日はその秘密に迫りたいと思います。「街」の創刊は1996年、今年で25周年を迎えられますが、まずは創刊の経緯から教えていただけますか?
竹内 はい。「街」は1996年の10月に今井聖が横浜で創刊しました。創刊当時今井主宰は40代半ば。野球の強豪校としても有名な横浜高校の教諭でした。今も創刊当時のメンバーはいます。北大路さんも創刊当時からのメンバーだと思います、何しろ高校生の時の担任教諭が今井主宰ですから。
――横浜高校といえば、思い出すのは松坂大輔(1980年生まれ)ですね。北大路翼さんが1978年生まれですから、翼さんが3年のときに松坂は1年という年齢差。まあ、松坂は俳句やらないでしょうけど(笑)。それにしても「40代半ば」の創刊は早い決断ですよね。
竹内 主宰は21歳から加藤楸邨に師事、加藤楸邨の弟子です。ですから「街」は楸邨門から生まれたということです。
――楸邨が亡くなったのが93年でしたが、「街」を創刊した時点ですでに今井主宰の句歴は25年ほどあったということですね。2021年春現在、コロナ禍がいまだ続いてますが、25周年の節目に企画されていることがありますか?
竹内 「街」は立派な会場を借りての記念式典のようなことは考えていません。実現できるかどうかは別として、今井主宰の希望は、野球大会の開催なのです。結社対抗、ないし協会対抗の野球大会。
――うーん、ぶっとんでます!w
竹内 もともと子規が心から野球を愛していたことは有名ですが、水原秋櫻子も加藤楸邨も野球好き。秋櫻子と楸邨は師と弟子ですが、昭和初期に野球で対戦しているそうです。秋櫻子率いる馬酔木チームVS楸邨の勤務していた粕壁中学教員チーム(現・埼玉県立春日部高等学校)。
――その話は知らなかったです。ちなみにどちらが勝ったんですか?
竹内 この時は下馬評を覆し粕壁中学教員チームの勝ち。また、昭和17年の「寒雷」5月号には、寒雷野球部の試合の様子が掲載されています。寒雷には野球部があった。東都高専野球界の雄、高等師範を相手に4対3で勝ったという記事です。高等師範は後の東京教育大学、今の筑波大学ですね。この時の高等師範チームは新人中心の実は3軍だと寒雷にはっきり書いてある(笑)。寒雷チームのキャプテンはもちろん加藤楸邨で長身の四番ファーストとあります。
――長身で四番となると、横浜でも活躍した駒田みたいな感じだったんですかね。しかし3軍とはいえ大学の野球部相手に勝利するってすごい……「寒雷」が体育会系の結社というイメージはなかったです。
竹内 まあそんな歴史も前提にあって、「街」の周年事業では是非野球大会を、というのが今井主宰の希望です。これは、15周年の時も20周年の時も話としてはありました。で、投手で四番はもちろん自分が務めると(笑)。
――楸邨の弟子でも、そこを継承する人はいない(笑)。野球ならそれほど「密」にならないし、風通しもいいから、ぜひ実現させていただきたいですね。
竹内 だけど実際には、かなりハードルが高くて。普段から運動不足の人が多く、しかも高齢化しているこの俳壇でこのようなイベントが開催できるのかと不安の方が大きすぎます(笑)。
知らざれる「俳句相撲」の世界
――「街」の名物といえば、新年の「俳句相撲」ですよね。今年は残念ながら実施できなかったと思いますが、この企画を実施するにいたった経緯とか内容をご紹介いただけますか?
竹内 新春恒例の「街俳句相撲」は、今井主宰が考案した団体戦形式の句会です。私が入会した17年前には既にあったから20年くらいやっているのかなあ。
――けっこう昔からやっているんですね。
竹内 もともと、街会員だけで始めたようですが、その後、八木忠栄さんや八木幹夫さんなど詩人の方が参加してくださったり、先頃このサイトの「シゴハイ」にも登場されていた音楽評論家にして俳人の平山雄一さんも早い時期からの参加者。そんなことで、他結社の方もお越しいただくようになり、とくに私が銀漢亭に出入りするようになってからは、銀漢亭コネクションを活用して一気に他結社の参加者が増えました。
――その風通しの良さが「街」の魅力ですね。誌面の俳句欄のタイトルって「解放区」「自由区」じゃないですか。まさに俳句の解放区。
竹内 昨年の優勝チームは西原天気さん率いるチーム「週刊俳句」、一昨年はチーム「天為」が優勝しています。他にも「ホトトギス」「銀化」「泉」「都市」など様々な結社の方が参加してくださっています。
――念のため、まったく「俳句相撲」のことを知らない人のために、概要をちょっとご説明いただけますか?
竹内 どんな内容かというと、7~8人でチームをつくって、チーム内で対戦する順番を決めます。対戦順に席題(季語もしくは漢字の詠み込み)が出されて各々俳句を作ります。作品は無記名なので同じチーム内でもチームメートの句がどれなのかわかりません。席題ごとに参加者全員がよいと思う1句を順番に投票、最終的に席題ごとの最高点句をとった作者の多いチームの勝ち。で、優勝チームには、ちょっとした賞品が出る。ま、だいたいこんな感じです。
――他のイベントにはない魅力を教えていただけますか?
竹内 楽しさの中にも真剣さが要求される、ちょっと変わった句会というところでしょうか。とにかく、やっているうちにどんどん盛り上がります。だからリピーターが多く、年々人数が増えていく。今年は大きめのホールを予約して準備していたのですが、感染拡大で中止となってしまいました。
――みなさん楽しみにされていたでしょうね。初参加の方もいたでしょうし。来年からはまた開催できるといいですね。
竹内 コロナが落ち着けば、夏場所か秋場所でもできればなと「街」の仲間で話しています。
俳句の「個性」をとことん追究する
――「街」では、ゲストを呼んでレクチャーを受けるという「研究句会」というのがありますよね。ぼくも一度呼んでいただきました。「寒雷」からつづく学究的な試みなのだと思いますが。
竹内 そうそう、堀切さんにもお越しいただいた。その節は大変お世話になりました。あの頃は、外部から一流の方をお招きして、特定のテーマについてお話いただく企画でした。一人の俳人に焦点をあてた研究が多かったですが、ほかには「俳句と映像」なんていうテーマもありました。
――意図や目的なんかを教えていただけますか。
竹内 何のためかにやっていたかというと、「街」に所属する俳人が自分の作品に磨きをかけるヒントを見つけよう、というか、多様な価値を学ぶことで先入観を壊し、自分らしさを育む、自分の立ち位置を自覚する。そんな狙いでやっていました。「他者と違う自分を見出す努力をすべし」これは、今井主宰の「俳人心得十か条」の中の一つです。
――まずは「敵」を知れということですね。思い込みで「個性」とかいうなという戒めにも感じます。
竹内 そう、自分の中にいる敵ですね。
――「あの頃は」ということは、現在はもうやっていないのですか?
竹内 最近は新シリーズで今井主宰にお話しいただき、個性の強い俳人のその個性の何たるか探るというような試み、「作ってみよう」シリーズをやっています。
――いろいろな人を巻き込んで、次々と新しい企画を立てていく力もまた「街」の魅力ですね。竹内さんはいつから編集長をされているのですか?
竹内 2011年の夏に6年間赴任していた大阪から東京に戻りまして、そのタイミングで主宰からお話をいただき編集部に加わりました。だからもう10年。2012年の4月号から編集長として紙面に登場しますが、実際はその前から。
――「街」編集長としての主なお仕事やスケジュールについて教えてください。
竹内 「街」誌全体の企画ですね。それに基づいて原稿依頼と原稿集め。外部の方に執筆をお願いするときは今井主宰と相談して決めています。街誌は隔月刊ですので、偶数月の月初めが原稿のしめきり。そして句稿、原稿の入力作業と印刷所への入稿。
――編集部のスタッフは現在、何人くらいですか?
竹内 現在は私以外に小久保佳世子さん、柴田千晶さん、髙勢祥子さんが編集部として役割分担してくれています。校正については、編集部以外にも優秀な校正メンバーの方が5名ほどいてその方たちにも初校、二校をお願いしています。念校、校了は私の仕事です。奇数月の下旬に街誌が出来上がります。
――優秀なスタッフの協力があってこそとは思いますが、けっこう竹内さんがおひとりでやることも多そうですね。座談会などはすべて編集長の発案ですか?
竹内 いえいえ、周年事業として特集を組むことが多いですが、その都度、今井主宰、編集部の他のメンバーと相談しながら決めています。
過去の特集を見ますと、私が編集に携わる前ですが、10周年が「今、何を書くか」、この時は今井主宰と金子兜太さんとの座談が載っています。15周年が「俳句進化論」、今井主宰と高山れおなさんと私の鼎談でした。
――周年企画は本当にメンバーが豪華です。しかも「街」の俳句をどうするかというよりも、俳句という文芸全体をどう捉えていくか、みたいな視点の企画ですね、いつも。
竹内 私が編集に携わるようになってからの100号記念では、今井主宰と星野高士さん、中原道夫さんの鼎談。そして20周年のときは、「師系の内側と外側」という特集を組みました。5つの小テーマを設定して各々2名ずつ計10人の方に評論を書いていただきました。
――執筆者は、全員が外部の方ですか?
竹内 10人のうち2人は内部、北大路翼と髙勢祥子。あと8人は外部の方。5つのテーマというのは「効率的に俳人として立つ方法」、「あなたが師を見切る限界とは?」、「師に求めるもの」、「狡猾青年VS純粋老人」、「結社否定の果てに見えるもの」。すごいでしょ、ちょっとやりすぎたかなあ(笑)。
――「師を見切る限界」って…(笑)いま、噴いちゃいましたw
竹内 でも皆さん見事に素敵な文章で応えてくださいました。で、面白いのは、その頃、外部の方として執筆いただいた、8人のうち、黒岩徳将さんと太田うさぎさんの2人がその後、「街」に入会され、今はお二方とも同人になっているということ。別に勧誘するための企画ではなかったのですが(笑)。
――たしかにものすごい確率。
竹内 その号では合わせて同じテーマで鼎談を行いました。今井主宰と大串章さんと正木ゆう子さん。これも刺激的で面白かったなあ。
――こういう話をきくと、同人誌としてのレベルの高さを思いますね。これまでで、いちばん反響があった企画は何かでしょうか?
竹内 先ほど言いました100号記念の時に、『俳壇は小説より奇なり「街」100号記念親戚鼎談』というのをやりました。今井主宰と星野高士さんと中原道夫さん。主宰のお母様の方の遠戚にあたるのが星野先生で、お父様の方の遠戚にあたるのが中原先生、遠い遠い親戚らしいけど、嘘のようなホントの話。で、3人で今の俳句、これからの俳句をどう考えるかというようなお話をいただきました。これも皆まったく遠慮がないから面白くて。
――血が求めあってみたいで怖ろしい。三人ともまったく違う方向から俳句の道に入ってますからね。まさしく「俳壇は小説より奇なり」です。
竹内 特にこの時は、中原先生が俳句作品の傾向を示す特徴的なエポックメイキングな一線という意味で仰った「石田郷子ライン」という言葉が、その当時、あちこちで取り上げられました。
――そうそう、その出どころがまさか「街」の鼎談だと思ってなくて、先の研究句会で「ご存知ないかもしれないですけど、石田郷子ラインという話が最近はやってて…」という話をしたところ、みなさんから「それうちの鼎談が出どころだから!」って大きくツッコまれまして。忘れられない思い出です(苦笑)
「客引き」のない横浜市解放区
――現在の「街」の規模や特徴について、おうかがいさせてください。いま、発行部数・会員数はどのくらいですか?
竹内 発行部数は550部。現在、会員は300名ほど。平均年齢は出したことがないのでわかりませんが、同人は20代から90代まで、会員は最近、20代、30代の若い方が増えてきています。だから俳人協会の平均年齢よりは確実に若いかな。そしてとてもオープンな結社だと思います。
――結社自体も「解放区」「自由区」ということですね。横浜市の19、20番目の「区」に認定したいくらい。
竹内 とくに句会はいつでも外部の方の参加歓迎です。入会はせず10年以上句会だけに参加されている方もいらっしゃいます。
――10年以上!?
竹内 句会の誌上発表はありませんので気楽に句会にお越しいただければと思います。句会に参加されたからと言って、しつこく勧誘するようなことは一切しません。結果としてご本人が気に入ったら入会していただければよいのです。
――主宰の今井聖さんはどんな方ですか? 作られる俳句は、「豪快」というよりはむしろ「繊細」である気がします。最新の句集から引けば、〈予告編のやうに川面を春の雲〉とか〈弁当に飛魚月曜日はいつも〉とか。
竹内 「豪快」か「繊細」か、と問われれば、なるほどそうかもしれない。とても常識的で、色々気配りをされる方です。一方でその常識をわかった上で敢えて壊そうとするところもある。個性的な日常のエピソードもいっぱい。例えば、傷ついた鴉の子を肩に載せて歩いてた、なんて話。あ、このことについては、俳人協会のホームページに本人がエッセイを載せています。とてもユニークな人です。
――あ、それ、読みました。タイトルの「ガーちゃん」もユニークでした。蝿がたかってるとか糞まみれだとか生々しさもありつつ、それでいて愛情深くて可愛らしいエッセイでしたよ。
竹内 私も主宰が鴉に親しげに話しかけて餌をやろうとしているのを目撃しました。でもそんなユニークさが魅力なんだよなあ。
――そういえば、去年角川賞を競った黒岩くんの作品タイトルが「嘴太鴉」でしたね。鴉を受け継いでるのかな(笑) 関係ないかもしれませんが。
竹内 「俳壇」2月号に天為の内村恭子さんが句集『九月の明るい坂』評の中で、今井聖の魅力は、「(街宣言のような)大きな理想、現実的な句の分析と評の確かさ、そして実際に作られる句の少年のような純粋さ、のギャップ」と書いていた。なるほどそうかもなあ、と納得しました。
――「少年のような」という形容はちょっとわかる気がします。しかし同時に、遠くを見ているというか、どこか淋しい目をしているところがあるような気もします。竹内さんから見ると、どんな方ですか。
竹内 俳句については、これまで主宰と話していて気づかされてきたことはたくさんあります。例えば先入観を排し、俳句的常識を徹底的に疑うこと。己の感覚、体験を信じて表現するということ。自分の同時代を詠むと言う強い意志とかね。作品的にはその辺が反映されていると思うけどなあ。
――先ほど話題にあがった「街宣言」には、「俳味、滋味、軽み、軽妙、洒脱……ではないものを私たちは目指します」とありますよね。でも一般には、先ほどの句は、どちらかというと「軽み」の句であるようにも思えます。25年のうちに「街」の俳句が変わってきたということなのか、「軽み」に普通とは違う意味を与えようとしているのか、どうですか?
竹内 「おもくれ」、「もつてわはる」、「念入り」、「したるし」がなく、ナマの現実に応じた作風を「軽み」と定義するならそういう句は確かにあります。基本は、自分の経験、大袈裟に言えば五官で感じたことが作品の核になっていると思います。私は18年ほど「街」に居りますが、そこは変わっていないですね。
――つまり素材が都会的だとか、そういう「形式」のレベルの話よりは、作家が現実というか世界とどう向き合うか、という経験の部分が大事であると。とはいえそれは言葉の「個性」から推し量るしかないわけですが。
竹内 ただあの宣言は、あえて戒めみたいなところもあって、どの作品でも実現させようとするとなかなか難しいですよ。それと現代を詠もうとするとき、様々な事象の変化、生活様式の変化だったり、そんな変化が作品の言葉を変らせる部分はあるかも知れません。
――句材のせいなのかもしれませんが、「街」は全体として小説的というか、物語性の強い句が相対的に多く並んでいる気がします。〈ぶらんこのねぢれ戻らず父帰らず〉の下五への展開の仕方とかがそうですね。そうした視野と、言葉のあり方がどうつながるのか。今井主宰はこういう部分にこだわらないのかもしれませんが、たとえば結社として「や」「かな」「けり」などの切字は使わない、というコンセンサスはあったりするのでしょうか?
竹内 「街」としては、そういうコンセンサスは全くないですね。作者しだい。私自身は、「や」「かな」「けり」よく使います。でも、たしかにこれは、「街」に限らず、総合誌はじめいろんな賞の受賞作品を見ていると、近頃の傾向として、全体的に切れ字は少ないかもしれませんね。「仏具磨きをれば裸子過りけり」「冬晴や汽車を撮らむと木の股に」これは、主宰の句です。
――先の句集でいえば、このへんのそれほど隙のない句と、〈レースクイーンでしたと草をむしりゐる〉あたりのギャップをどう考えればよいのか、私はちょっと悩んでしまったんですよね。一句でどうこうというよりは、句の「幅」が「個性」ということなのかな。
竹内 むしろ俳句に絶対はない、というのが「街」の不文律みたいなところがある。切れ字を使うことが絶対でもなければ、使わないことが絶対でもない。同人になれば特にそう。逆に会員の方には俳句の基礎を知っていただくために同人になるまでは旧かなでの投句をお願いしています。
――「わび・さび」とか「寺社仏閣」ではなく、等身大の「わたし」を詠む、というのは同時に、現代短歌のマジョリティ的な世界観ともつながってくるような気がします。加藤楸邨もかつて短歌をやっていましたが、ジャンルとしての現代短歌と俳句のつながりは、どんなふうに見られていますか?
竹内 なるほどね。意識したことはなかったけれど、そういうことはあるかもしれませんね。歴史的に見れば歌の方が句よりも先輩なんでしょうけれど、それは和歌と俳諧の話だものね。確かに現代短歌の自由さは羨ましいくらい、歴史的な先入観が排除されている感じ。一方でそのこと自体が新しい固定観念になっているような感じさえする。新聞の歌壇欄なんか見ていると特に。
――これは直観なんですけれど、「街」の探究のひとつに現代短歌における言葉の扱い方をもういちど確認する、という作業を加えてみると面白くなる気がするんです。やっぱり、どこか重なるところがあると思うんですよ。
竹内 私ね、古いと言われるかもしれないけど、好きな短歌があって、それは、
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり 子規」
「ガレーヂへトラックひとつ入らむとす少しためらひ入りてゆきたり 茂吉」
やっぱりね、私たちが普段から目にしているはずなのになかなか詠えないような、こういった景の切り取り方とか、言葉の選択とか、俳句を作るうえでものすごく勉強になると思っているのです。
コロナ禍で変わったこと
――現在、結社の句会は、どのくらいの数がありますか? 主宰が指導されている句会の数や参加人数なんかを教えていただけると。
竹内 毎月ある句会が、7つ。場所は横浜が中心です。いわゆる結社の例会にあたる第4日曜日の「街句会」は、当季雑詠5句出し5句選の句会で人数は50名ほど、第一日曜日、第二日曜日の「東京句会」「研究句会」で40名ほど、あとは10名から20名の句会が多いです。第5日曜のある月には「鍛錬句会」といって、午前中から夕方まで席題の句会を3回ほど繰返し行います。他に年4回、静岡県浜松市での句会もあります。句会はいずれも今井主宰が出席します。また、各々幹事が決まっていてきっちり運用してくれています。
――句会に「街」独特の習わしみたいなものはありますか?
竹内 句会では各々の選評は聞きますが、自句自解は一切しません。俳句は発表されれば、もはや一つの作品として読者の解釈、鑑賞に委ねられるべきだ、という考えに基づきます。「他者の評価は素直に聞く。評価を冷静に分析して一喜一憂するべからず」、と教えられました(笑)。あ、これも今井主宰の「俳人心得十か条」の中の一つです。
――読み手あっての俳句ですね。
竹内 あと、さきほども言いましたが、「街」は外部の方の参加は、いつでも歓迎です。いろんな結社の方、あるいは結社に所属していない方にも来ていただきたいです。刺激になりますから。
――昨年からのコロナ禍で対面での句会も行いにくくなっていると思いますが、どのように対処されてきましたか。
竹内 今年1月7日に改めて一都三県に緊急事態宣言が発令されて、一旦中止していましたが、現在はリアルの句会を再開させています。ごくごく一般的な注意事項を守りながら、出席者はマスク着用、手指のアルコール消毒、会場の窓・扉を開けての換気等々に気をつけて。
――感染状況を見ながらの対応ということですね。
竹内 一方、この機会にオンライン句会も考えるべきかと、試行もしていますが、これを広げると、これまで出席できていなかった遠方の会員が参加できるというメリットがあるのと同時に、端末や通信機器に不慣れな会員は結局参加できないというデメリットもあります。このあたりが考えどころですね。
――年間を通じて、イベント(鍛錬句会、宿泊付きの吟行、新年大会など)はどのくらいありますか。現在は、コロナ禍で中止にせざるをえない状況がつづていますが…
竹内 普段ですと、1泊の吟行会が年1回。一昨年(2019年)は9月に熱海でやりました。鍛錬句会(第5日曜日)は、先ほどお話しした通り、午前中から夕方まで席題の句会を繰返し行うのですが、出句数に制限なしの句会です。新年は例年ですと先ほど言った俳句相撲ですね。あとは日帰りのミニ吟行が数回あります。また、毎年11月に同人総会。加えて同じ日、総会の後に「街の集い」と称して、同人・会員合同の出版記念パーティーをやっていました。これも昨年は中止です。
――すごい量のイベントですね。さすが体育会系の結社です(笑)
竹内 あと、催事ではありませんが、年1回、作品のコンテストがあります。同人対象の「街賞」と会員対象の「街未来区賞」。新作15句と既発表15句を応募してもらって、主宰をはじめとする審査員が新作に重点を置いて評価して毎年各々一人が受賞します。
――結社誌への投句は葉書でしょうか。葉書だと打ち込みの作業が発生すると思いますが、メールなどでの投句も行っていますか?
竹内 同人はメールで投句ができます。編集部の私宛に送ってもらっています。メールの送信できる環境にない方もいらっしゃるので郵送も受けています。現段階ではメールの利用者は6割ぐらいです。
ただ、会員の方には巻末についている投句用紙で発行所(主宰)宛に郵送をお願いしています。会員欄は、主宰の選と添削が入る関係で今のところそのようにしています。
――新入会員に勧めている本などがあれば、教えていただけますか。
竹内 特にお勧めしている本はありませんが、主宰の『ライク・ア・ローリングストーン』、『部活で俳句』、『言葉となればもう古し』は読んでほしいかな、面白いから(笑)。
――現在の「街」を代表する作家を何名か、作品とともにご紹介いただけますか?
竹内 はい。そうですねえ、
観覧車に亡き人ひとりづつ月夜 松野苑子
目鼻口流さぬやうに髪洗ふ 小久保佳世子
全人類を罵倒し赤き毛皮行く 柴田千晶
梟の声の詰まりし枕かな 髙勢祥子
蝌蚪の頭が一つ日輪覆ひたる 黒岩徳将
水澄みてコシノジュンコのやうな鯉 太田うさぎ
吊るさるる兎足だけ毛を残し 草野早苗
着ぶくれて馬賊の如く馳せ来る 鷲巣正徳
湯を抜けば柚子の水位のさがりゆく 北大路翼
まだまだ、たくさん変な人…じゃなかった、ユニークな作品があるんだけど、今日はこの辺で(笑)。
――最後に、変な人だらけ……じゃなくて、ユニークな作品だらけの「街」に入会するには、どうしたらいいですか?
竹内 「街」のホームページのお問い合わせのコーナーからお申し込みいただけます。見本誌は無料です。ただし、号を特定することはできません。最新号とか周年記念の特別号をご希望の場合は有料となります。URLは、http://haikuhamachi.blog.fc2.com/です。よろしくお願いいたします。
――いやあ、本当に野球大会を実現させてください。本日はとっても楽しいお話、ありがとうございました。少しストレスフルな生活が続きそうですが、充実した25周年をお迎えください。
【次回は「100年俳句計画」、4月1日ごろ配信予定です】
【「街」について】
1996年10月、今井聖が横浜で創刊。隔月刊。編集長は竹内宗一郎。毎年1月は他結社を招いての「俳句相撲」を行う。9月には吟行会。
【主宰】今井聖(いまい・せい)
1950年新潟生まれ。14歳で俳句をはじめ、1971年「寒雷」入会、加藤楸邨に師事。1985年「寒雷」同人。1996年に俳誌「街」創刊主宰。2017年、『言葉となればもう古し-加藤楸邨論』で第32回俳人協会評論賞受賞。句集に『北限』 『谷間の家具』 『バーベルに月乗せて』 『九月の明るい坂』。
【編集長】竹内宗一郎(たけうち・そういちろう)
1959年鳥取市生まれ。「天為」同人・「街」同人。
【「ハイシノミカタ」バックナンバー】
>>【#1】「蒼海」(堀本裕樹主宰・浅見忠仁編集長)
>>【#2】「奎」(小池康生代表・仮屋賢一編集長)
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】