寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇【季語=胡蝶(春)】

太祇が島原遊郭で結んだ庵の名は「不夜庵」。その名の通り、夜が昼と同じように明るくにぎやかな場所だった。夕刻に営業が開始され、朝に客を送り出す遊女の生活は、夜が稼ぎ時である。遊郭に暮らす太祇もまた、夜は寝ずに過ごした。

  永き夜を半分酒に遣ひけり

  雨乞ひの幾夜寝ぬ目の星の照り

  帰り来て夜をねぬ音や池の鴛

  夜を寝ぬと見ゆる歩みや蝸牛

 そのため、昼寝の句も多い。

  蠅多き市に隠るる昼寝かな

  うたたねの暮るるともなし蝉の声

 まさに、昼夜逆転の不健康な生活である。

  名月や君かねてより寝ぬ病

〈君〉は、遊女のことであろうか。自分のことは気にせずに眠って欲しかったのだが、遊女の性分で眠ってくれなかったのだろう。

〈胡蝶〉の句は、うたた寝をしている時に蝶が飛んできて、添い寝をするように傍らにとまり翅を閉じたが、眠っている様子でもない微かな息遣いを感じたという内容である。と同時に、添い寝の遊女が眠らないことを語っている。

添い寝の遊女は、指名の遊女とは限らない。売れっ子の遊女は掛け持ちが多いため、席を外す際には、妹分の遊女が名代として添い寝をする。名代は、姉さん遊女の客と関係を持ってはいけない規則があるため、客とは背中合わせにして寝る。客とは、寝ながら会話をするが、お互いに触れてはいけない。もし客が迫ってきた場合には、大声を出して助けを呼ぶ。常連客はそれが分かっているので、若い名代には「君も早く眠りなさい」などと気遣う。だが、名代は寝たふりをするだけで、眠らない。客が厠に立つ時は付き添い、朝になれば、客が起きると同時に飯を盛って差し出さなければならないからだ。酔いつぶれて床に入ったものの、背を向けて寝る名代が緊張を解かず眠らないのは、何とも居心地の悪いものだ。昼間に仕事をしている客なら気にせずに眠るのだろうが、昼夜逆転生活な上に不眠症の太祇は目が冴えてしまったことだろう。客が眠ってくれないと、名代の緊張も解けないので眠ったふりをして、夜明けを待ったのだ。

  いつまでも女嫌ひぞ冬籠

遊郭で様々な女の業を見てきたら、女嫌いになるかもしれない。もしかしたら、もともと女嫌いだったとも考えられる。だからこそ女をよく観察し、花や蝶に喩えて美しく描写できたのだ。太祇にとっては、遊女も俳句の題材でしかなかった。物事を客観的に捉え深追いをせず、わび住まいを好む男は、江戸の風流人の一つのあり方だったのではないか。四十歳を過ぎてからの島原遊郭住まい。風狂な翁を慕う遊女も多かったことだろう。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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