遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚【季語=草いきれ(夏)】

 妻を詠んだ句は、華やかで瑞々しい。妻の存在する景色が美しく映っていたことが分かる。

  若葉透く日にはなやぎて妻の客

  花吹雪きをり飲食の息づかい

  枯菊を焚く影に櫛落しけり

 もともと俳句に親しむ環境にあったとのことだが、本格的に俳句と向き合うようになったのは、40代半ばからである。第一句集を出版した時には80歳を過ぎていた。その6年後に出版した第二句集で師匠の名を冠した蛇笏賞を受賞する。俳句も恋も年齢ではない、老境になってからでも花開くことを知らしめた。

遠縁のをんなのやうな草いきれ  長谷川双魚

 遠縁とは、遠い血縁にある人のことである。昔は、血の繋がりは薄くとも縁者を大切にした。就職するにしても移住するにしても縁者を頼ることが多かったからだ。婚姻もまた、薄まった縁を繋ぐために遠縁の者同士が結び付けられることがある。掲句の背景は分からないけれども、遠縁の女と縁談でもあったのだろう。しかし、結果的には破談になった。〈草いきれ〉は、夏の暑い時期に発する草の蒸れるような熱気のことである。湿気をまとった噎せ返るような匂いには、疎ましさと同時に相手の女から感じた色気のようなものも思わせる。男は、相手が積極的過ぎると引いてしまうことがある。その時は、仕事の事情や自身の精神的な都合で断ったものの、ふとした瞬間に「勿体無いことをしたな」という感傷が湧いたのだ。〈草いきれ〉は、懐かしい匂いでもあり、遠くから匂うように感じるものだ。溺れてみたいと思うこともある。〈遠縁〉には、遠い血縁という意味と同時に縁遠いという意味もあったのではないか。つまりは、色香とは縁遠い自分への眼差しも含んでいるのだ。

 双魚が女を描いた句は、冷静な描写でありつつも美しい。

  風五月をんなの翳のととのはず

  をんなの旅風がよく見え花卯木

  枯るゝなか女あつまり灯をともす

  橋早春何を提げても未婚の手

 女に対する憧れはあったのだ。句に詠まれた女にはいつも風が吹いている。清純な女が好みだったのかもしれない。俳人である以上は、文芸上の場面として女を描くこともあるだろうし、近くにいた女に美を見出し描写することもある。ただ、〈遠縁のをんな〉の句は、双魚の句のなかでは異色であり、生々しさを感じる。〈遠縁のをんな〉とは、恋愛関係には至らなかったのかもしれないけれども、何かがあったのではないかと想像してしまう。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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