霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子【季語=霧(秋)】

  霧まとひをりぬ男も泣きやすし   清水径子

 霧は、日中との気温差により発生する現象で、秋の季語である。標高が高いところでは昼間にも見られるが、平地では朝や夜に湧くイメージがある。視界を遮ることがあるため、幻想的に詠まれることが多い。湿っぽく詠むのもまた、風情がある。

 掲句は、逃れられないような濃霧のなかで泣いている男を詠んだ。戦中戦後の男は、泣くなと教えられ育った。涙は弱い女のものとされた。そんな時代にあって、男の涙が意外にも思えたのだろう。あるいは、軟弱な男だと思ったのか。霧は、秋の淋しさを誘発する。強い男でも泣いてしまうほどの侘びしい場所だったのかもしれない。平安時代には、涙を美徳とする「たわやめぶり」の文学があった。民族の記憶のなかでは、男の涙が美しく見えることもある。霧の侘びしさ白さをまとって泣く男に心惹かれる感情があったのだ。

 男と作者の関係は、どのようなものだったのだろうか。同時期には、男を詠んだ句がある。

  寒さくる男の声をはらいのけ

  あたたかき日の男雛憂ふるよ

  鳩・目白・アパートに胸うすき男

 はらいのけたくなるような甘えた男、面倒な男だったのか。男雛のように憂いた顔を持つ男だったのか。胸うすき男だから、頼りのない恋人だったのだろう。20代前半で離婚し、その後は速記の仕事で生計をたてていた径子は、いわゆる自立した女であった。最愛の弟の死を経て、弟のような男を愛した可能性を感じてしまう。男雛に喩えてしまうほどの美しい顔立ちで、守ってあげたくなるタイプ男だ。霧による秋思から涙をこぼした男を軟弱だと思う前に美しいと感じた。〈男も〉と表現していることから、作者も泣きやすかったのだ。本当は、孤独を癒してくれる愛情や強さを求めていたのだが、この霧では仕方がない。一緒に泣いてくれたのだから、その繊細な優しさを霧とともに包んであげようと思ったのだ。

 作者は、孤独を分かち合ってくれる男を求めた。だが、相手の孤独を癒すことでさらなる孤独が生まれた。淋しさの連鎖ともいうべき薄幸な愛憎が浮かび上がってくる。

  すぐ汚れる白ハンカチは薄幸ぞ

 淋しさを詠み続けた作者は、実は強い女だったのだろう。女ひとりでは生きにくかった時代に離婚し、職を得て、独身を通した。キャリアウーマンであったがゆえに、弟のような弱い男を支えることで、肉親の死という空白を埋めようとした。涙もろい男は、その繊細さが魅力だが、自己愛も強い。そんな男に恋をしてしまったのは、不幸なことだ。その一方で、孤独を深めたことにより、誰にも真似できない詩の言葉を生み出したともいえる。泣きやすい男は、詩の肥やしとなったのだ。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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