初夢で逢ひしを告げず会ひにけり 稲畑汀子【季語=初夢(新年)】

初夢で逢ひしを告げず会ひにけり

稲畑汀子
(『現代俳句歳時記』)

 稲畑汀子は、昭和6年、高濱年尾の次女として生まれた。祖父の高濱虚子と父の年尾より俳句を学ぶ。幼少期を鎌倉で過ごした後、芦屋に転居。24歳の時に稲畑順三と結婚。昭和54年、48歳の頃、年尾の死去により「ホトトギス」主宰を継承。翌年、夫の順三が死去。昭和57年より朝日俳壇選者。昭和62年、56歳の頃、日本伝統俳句協会を設立し会長に就任。平成6年、NHK俳句講師及び選者。平成12年、69歳の頃、虚子記念文学館を芦屋に開館し理事長に就任。平成25年、82歳の頃、「ホトトギス」主宰を息子の稲畑廣太郎に譲り、名誉主宰に就任。令和4年、91歳死去。句集に『汀子句集』(昭和51年)、『汀子第二句集』(昭和60年)、『汀子第三句集』(平成元年)、『障子明り』(平成8年)、『さゆらぎ』(平成13年)、『花』(平成22年)、『月』(平成24年)がある。死去後、未刊句集『風の庭』を収録した『稲畑汀子俳句集成』が出版された。

 近現代俳句のはじまりともいうべき日本最大の結社「ホトトギス」を35年間にわたり束ねた功績は大きい。伝統俳句協会の設立もまた偉業のひとつである。「花鳥諷詠」「客観写生」という姿勢のもとに詠まれた俳句も見事であるが、選者としての目も、講師としての指導力も確固たるものがあった。まさに歴史に残る俳人である。

 稲畑汀子の覚えておきたい代表句といえば、以下の七句である。伝統とか「花鳥諷詠」とか「客観写生」といわれると身構えてしまうのだが、意外と親しみやすい句であることに驚く。
  今日何も彼もなにもかも春らしく
  落椿とはとつぜんに華やげる
  初蝶を追ふまなざしに加はりぬ
  空といふ自由鶴舞ひやまざるは
  三椏の花三三が九三三が九
  立秋と聞けば心も添ふ如く
  花火消え元の闇ではなくなりし

 写生の句は、的確に物事を捉え描写している。簡単に詠んでいるように見せるのが技であり、誰もが共有できる景を切り取っている。
  川の面に映す陸の灯夜涼の灯 
  さゆらぎは開く力よ月見草
  鉦叩とはかすかにもはるかにも
  コスモスの揺れ返すとき色乱れ

 人間もまた自然の一部であるという考えのもと、時には自身も景に同化し、客観的に詠んだ。
  小鳥来る人の暮しと玻璃隔て
  梅雨霧を見てゐていつか包まるる
  葭切や鍵屋の内儀話し好き
  読み返す便り羽蟻の夜なりけり
  波音を近づけてゐる端居かな

 旅が好きで抒情的な旅の句を多く残した。
  春らしく装ふことも旅衣
  香水を借りもし旅の親しさに
  月今宵旅路いづこに泊つるとも
  星月夜心を栞り来し旅ぞ

 滑稽味のある句も多い。何でもないようなことも面白く可笑しく詠んでしまうのは流石である。
  ドライブの女ばかりのサングラス
  好き嫌ひ一応尋ね鰻めし
  これほどに役に立つとは秋扇
  暖房を入れてほしいと多数決

 恋の句仕立ての句もある。恋の句ではないのだが、恋の句っぽく詠んだ句である。
  又そよぐ芒に逢へし忘れもの
  人恋へば燃ゆる紅葉の色散らす
  わがこころ重ねし今宵十三夜
  この出逢ひこそクリスマスプレゼント

 明るくおおらかな詠みぶりは、つねに読者の心を満たし続けた。心にすっと入り込んでくる句を詠み続けられたのは、汀子が自然を愛し、人を愛したからであろう。

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