絵葉書の消印は流氷の町
大串章
きのうの東京はとても冷え込み、頭がさむくて目がさめてしまった。ベランダに出てみると、雪がふってもおかしくない空気。でも昼間になると、ちゃんと温度が上がって、うん、ここは関東だもんねとあらためて理解する。
絵葉書の消印は流氷の町 大串章
絵葉書というのは、浮き世のしがらみから抜けた人が、ただ自分の安否を知らせるためだけに投函するちょっとした魔法のアイテムで、もらった人は、とつぜんの贈り物が放つ光とその遠さを味わい楽しむ。
流氷の町というと、網走や紋別あたりを思いうかべるのがふつうだろう。けれども私は、掲句から香る〈さいはての地からの手紙〉といった雰囲気に、釧路を想像するのもいいんじゃないかと思った。だって詩歌の世界で最果てといえば、まずもって石川啄木が旧釧路新聞社の社員として釧路に赴任していた折に詠んだ、
さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにきしらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな
という短歌だもの。啄木の歌はどちらもしみじみと好い。とりわけ〈氷かがやき〉の、いにしえの歌びとが詠んだかのような詠嘆ぶりが私は好きだ。
ちなみに啄木の見ていたのは、シベリアはアムール川産の流氷が接岸したそれではなく、釧路の地元原産の蓮葉氷(はすばごおり)と考えられているようだ。蓮葉氷とは氷塊が互いにぶつかりあい、外縁部がめくれあがった、蓮のかたちの流氷である。下の動画が蓮葉氷。夜のシーンで映っているのは砕氷船だ。
(小津夜景)
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】