体育+俳句
【第2回】
Knock the door
西山ゆりこ(「駒草」同人)
ひとすぢの流るる汗も言葉なり 鷹羽狩行
大好きな句だ。
幾つものシチュエーションが思い浮かぶ。
一番ベタな読みとしては、じっと押し黙り、でも内心は言葉を絞り出そうとしている時に、こめかみから噴き出してつつっと動く、いわば「静の汗」。いやいや、「ひとすぢ」で終わらせず「流るる」と強調し、躍動感があるので「動の汗」とも解釈できる。例えばフィールドでゴールを決めた汗まみれの顔。そのひとすじにカメラを寄せてクローズアップすれば、勝鬨そのもののような汗となる…想像すればキリがないが、抑えようのない人間の生理現象もまた言葉だという。絶妙である。
先ほど「幾つものシチュエーション」と書いたが、実はこの句を読むたびに生々しく脳裏に蘇る汗がある。
それは「オーディションの汗」だ。
物心がついた時から踊っている。
最初は町内会の集会場で、やがて都心のダンススタジオへ。「ただただ楽しいから踊って来た」部類の人間なので、例えばコンクールを目指すようなバレリーナとは、エベレストと月極駐車場ぐらいの差があるとご了承いただきたい。が、そんな私にも、一応「ダンス魂」のようなものが宿った。そして、ステージに立つためのオーディションもいくつか経験した。
舞台で輝く汗を「努力の結晶」というが、そもそも、オーディションを通過しないと努力することさえ許されないのだ。だから本格的なダンスクラスにせよ、学生の部活動にせよ、日々のレッスンでは、あえて少人数で鏡の前に並ばせたり、生徒同士で評価をさせたりする。人に見られる練習である。ダンス仲間の通っていたスクールでは、「●●のオーディション用の髪型とメイク、レオタードをコーディネートする」という模擬試験があり、さらに自己PRの台本や、名乗りの発声指導もあって「正直、踊るよりもキツかった」そうだ。
私は、名乗りの練習とまではいかないが、オーディションが近づけば爪を伸ばした。その方が手が長くきれいに見えるからである。当日にはアイラインを少しきつく入れる。鏡の前で、別人のようで気持ち悪いな、と思う。
オーディション会場につけば、大半の時間は「待ち」となる。更衣室はナイロンのバッグであふれ、皆黙々と着替える。ほつれ毛が出ないようにヘアワックスを塗りながら、「オーディションの汗」はすでに始まっている。緊張で指先が冷え、突然自分が色褪せたように思えて来る。
ゼッケンをつけて振りつけが始まり、体を動かせばいくらか気が紛れるが、指先は冷えたまま。普段のレッスンでは、楽しい楽しいとのめり込んでいるうちに、気づけば汗びっしょりになっているのだが、オーディションでは心臓から絞り出されたような、ベトついた汗が滴る。また、その一滴一滴が煩わしい。これから審査員の前で選別されるのに、重たくて張り付いて邪魔だ。
まさに、このひとすじの汗は言葉。思い通りにならない私の肉体が、他でもない私自身に語りかけてくる。「緊張」「落チツケ」「オ前ハダメナ奴」「イヤ、オ前ナラデキル」…その言葉はひとつではなく、秒ごとに揺れ動いた。 「では、これより選考に入ります。」の声がかかれば、あとはあっという間。
全てが終わり、足元がフワフワとしたままナイロンバッグを肩に、帰り道の交差点を渡る。さっきまでの汗は風に吹かれ、「アー終ワッテシマッタ」と冷えて消えてゆく。
今でもダンスは好きだが、ダンサーの旬はとうに過ぎ、「オーディションの汗」をかくことはなくなった。単なる運動の汗、緊張の汗はかくことは出来ても、自分の全身とあんな風に語り合うことはもうないだろう。少し淋しい。
【執筆者プロフィール】
西山ゆりこ(にしやま・ゆりこ)
1977年、神奈川県生まれ。
日本女子体育短期大学舞踊専攻卒業。
平成15年「駒草」入会、西山睦に師事。俳人協会会員。
句集『ゴールデンウィーク』(朔出版)。
【体育+俳句のバックナンバー】
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