夏帽子大きく振りて角曲がる
大角泰子
前回の飯田龍太の〈闇よりも山大いなる晩夏かな〉もそうだったのだが、「大」の字の語(「大し」「大きい」「大いに」など)が、“きちんと大きい”句には魅力を感じる。掲句も同様で、「大きく」が本当によい大きさを持っていて、気持ちのよいのびやかさと特有の情緒を生み出していると思う。
情景を思い浮かべると、映画のラストシーンのような絵が見えてくる気がする。帽子を振りながら去っていく人が見えなくなったあと、灼けた夕方の人気のない路地をしばらくカメラが写し、そして暗転。エンドロールが流れていく。そんな情景を見させてくれる俳句だ。こういうドラマ性を感じる句になっているのは、やはり「大きく振りて」という表現の力だと言えるのではないだろうか。
この句の作者、大角泰子は「とちの木」の会員だ。ここまでの私の記事では、「とちの木」の主宰・川崎雅子を皮切りとして、私の師系をたどっていった。それが前回飯田龍太までたどり着いたので、今回は「とちの木」のお仲間というか大先輩に触れて、7月の寄稿を終えたいと考えている。
なお、ここまで私は、呼称の不均衡を避けるため、記事で言及する人物には一切敬称をつけてこなかった。師匠や大師匠も、臆面もなく呼び捨てで文章に登場させている。「雅子先生」と、普段通りの呼び方で書くならば、「龍太先生」と書かなくては釣り合いが付かないだろう。だが私のなかでは、直接の教えを受けたどころか謦咳に触れたことさえなく、俳句史上の偉大な巨人の一人に列する人物と認識している飯田龍太をわざわざ先生付けで呼ぶのはかえって不自然な感じがする。また、高浜虚子や正岡子規、あるいは松尾芭蕉などが話題に出てきたとき、「虚子先生」「正岡氏」「芭蕉さま」などと呼んでいくわけにもいくまい。虚子を「虚子」、龍太を「龍太」と呼ぶからには、自分の身近な直接の師匠も「雅子」と呼ばなくてはならないのである。
しかしながら、ここからはその規制を緩和して、今回の主役を日頃通りに「泰子さん」と親愛を込めて呼ばせていただきたい(そして、それに合わせて、他の人物についても適宜敬称を添えていく)。そんなふうにするのも、泰子さんは、私を「とちの木」に引き合わせてくれた人なのである。つまり、泰子さんがいなければ、いまの俳人としての私もいないことになる。個人的にはそんな重要人物なのだ。
泰子さんはもともと「渦」に在籍していた。そして、実は私も、俳句をやり始めた当初は「渦」が句会デビューの場だった。当時、正岡子規の句集を読んで俳句に興味を持ち、自分でもいくらか詠み始めていた私は、きちんと先生について俳句を習ってみたいと思うようになった。ただ、そのときはまだ、いわば趣味・娯楽的なカルチャーレベルで俳句を認識しており、俳句史もろくに学んでいなければ、俳句界における結社文化のことも全然知らなかった。当然、「渦」という結社の俳句界における位置づけも、その創始者・赤尾兜子先生が俳句史上どのような存在であるのかも全く把握していない。そんな者が、簡単な気持ちで「句会、神戸」などのワードでインターネット検索し、「御影でやっている句会か。ここなら行けそうだ」という能天気な考えで、書かれていた電話番号に連絡し、句会参加を申し込んだのである。無知による大胆さのなんと恐ろしいことか。
しかしながら、月例の句会に確か3回ほど参加したあとだったろうか。その月の句会が終わって数日後、知らない番号から電話がかかってきた。泰子さんからだった。たしか「渦」句会初参加のときに連絡先を提出したのだったか、おそらくそれを見てかけてきたのだろう。
まず伝えられたのは、なんと「渦」が間もなく終刊となるのだということだった。今思えば、おそらく私が参加を申し込んだ頃にはすでにそんな話は動いていたのだと思う。そういえば句会の前後に、結社の中心的な人たちが額を集めて神妙そうな話をしているのを見た覚えがある。その電話で終刊について泰子さんから聞いたのは、恵以先生(兜子先生の奥様であり、その逝去後に「渦」主宰を継承)がだいぶ高齢になられて、結社の持続が難しくなってきたから、といった理由だった。
そして、そのとき泰子さんからもう一つ伝えられたのが、もともと「渦」にいた人が神戸でやってる句会があるから、そっちに行ってみないか、私もそちらに行くつもりだから、とのことだった。いうまでもなく、それが川崎雅子先生であり、「とちの木」である。こうして、泰子さんのはからいによって私は「とちの木」の所属になった。「渦」時代が私の俳句歴の序章だとすれば、第一章が泰子さんの導きを通じて始まったのだ。
さて、あまりにも個人的な話になってしまった。こんな私的な交わりの経歴を語っても、俳人としての大角泰子さん像は読者のみなさんに伝わらないだろう。俳人を知る手立ては、その作品によるより以上のことは無い。ということで、泰子さんの句をいくつか挙げて今回の記事を締めくくりたい。
敬老日腹話術士の大鞄
真贋の怪しき壺へ冬薔薇
遠足の一人覗けばみな覗く
人形の瞳の濡れし無月かな
水筒の坐りの悪き秋野かな
長男は少しけむたし年酒享け
花の宿交響楽団ご一行様
初夏や恐竜図鑑抱へくる
(山川太史)
【執筆者プロフィール】
山川太史(やまかわ・たいし)
「とちの木」「いぶき」会員。現代俳句協会所属。
X: @tane_kokugo
note:https://note.com/yamakawataishi
【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕なし
【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二