ハイクノミカタ

家毀し瀧曼荼羅を下げておく 飯島晴子【季語=滝(夏)】


家毀し曼荼羅を下げておく)

飯島晴子

 この句の作られた昭和五十二年は、晴子が熊野を歩いた年でもある。大きな木造の家がこわされ、そこに曼荼羅がさがり、やがて滝になってゆくような感じがある。〈西国は大なめくぢに晴れてをり〉〈萩あかく王子は寝ずに歩くなり〉〈雲ふえる緑更紗のズボンを穿いて〉なども同時期の作品。那智や、龍神温泉の曼荼羅の滝なども思わせる。

 晴子には「ておく」という措辞が多い。同じ『春の蔵』の中にも〈鶯に蔵をつめたくしておかむ〉〈つひに老い野蒜の門をあけておく〉〈夏の帆につつみておくもわが贋作〉〈菱をあつめておくのはきれいな書院のなか〉〈船の本と青紫蘇の葉をならべておく〉〈軽石も覚えておかむ冬の暮〉などその例はたくさんある。確かな意味はないが、せめてこれくらいはしておこうというような、ある種のまじないのような、信念のようなものが宿った表現であると思う。そして、それをしたことによる具体的な結果を期待しているわけではない。この措辞を直接含まずとも、句集終盤の〈白髪を霧にあらひて先に待つ〉にも同様の精神がこもっているように思う。

 晴子は「京都という盆地の底で育ったものには、(……)他者は常に山から下りてくるのである」と述べ、ある時訪れた郡上八幡について「来る人を待っている町」であり「それがこの町のどこかものかなしい魅力」であると続ける。「私が在らしめられているのは、いつも外からの何らかのエネルギーによって」と言っていることもうべなえるのである。

 晴子俳句は、表現としては積極的である。しかし、その表現がどのような結果をもたらすか、つまりどのように読者に受け取られるかについては、運命に任せている。そしてさらに、一句一句は内的にも「来る人を待っている」ような態度を持っているのではないだろうか。

小山玄紀


【執筆者プロフィール】
小山玄紀(こやま・げんき)
平成九年大阪生。櫂未知子・佐藤郁良に師事、「群青」同人。第六回星野立子新人賞、第六回俳句四季新人賞。句集に『ぼうぶら』。俳人協会会員


小山玄紀さんの句集『ぼうぶら』(2022年)はこちら↓】


【小山玄紀のバックナンバー】

>>〔9〕卯月野にうすき枕を並べけり  飯島晴子
>>〔8〕筍にくらき畳の敷かれあり   飯島晴子
>>〔7〕口中のくらきおもひの更衣   飯島晴子
>>〔6〕日光に底力つく桐の花     飯島晴子
>>〔5〕気を強く春の円座に坐つてゐる 飯島晴子
>>〔4〕遅れて着く花粉まみれの人喰沼 飯島晴子
>>〔3〕人とゆく野にうぐひすの貌強き 飯島晴子
>>〔2〕やつと大きい茶籠といつしよに眠らされ 飯島晴子
>>〔1〕幼子の手の腥き春の空   飯島晴子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

  1. 抱きしめてもらへぬ春の魚では 夏井いつき【季語=春の魚(春)】
  2. 木犀や同棲二年目の畳 髙柳克弘【季語=木犀(秋)】
  3. 稲妻となつてお前を喜ばさう 竹岡一郎【季語=稲妻(秋)】
  4. 起座し得て爽涼の風背を渡る 肥田埜勝美【季語=爽涼(秋)】
  5. デモすすむ恋人たちは落葉に佇ち 宮坂静生【季語=落葉(冬)】
  6. 手繰るてふ言葉も旨し走り蕎麦 益岡茱萸【季語=走り蕎麦(秋)】
  7. 麦打の埃の中の花葵 本田あふひ【季語=花葵(夏)】
  8. めぐりあひやその虹七色七代まで 中村草田男【季語=虹(夏)】

おすすめ記事

  1. 手花火を左に移しさしまねく 成瀬正俊【季語=花火(夏/秋)】
  2. 手繰るてふ言葉も旨し走り蕎麦 益岡茱萸【季語=走り蕎麦(秋)】
  3. 【連載】歳時記のトリセツ(4)/中西亮太さん
  4. 【夏の季語】梅雨
  5. おそろしき一直線の彼方かな 畠山弘
  6. ゆく船に乗る金魚鉢その金魚 島田牙城【季語=金魚(夏)】
  7. 月光や酒になれざるみづのこと 菅 敦【季語=月光(秋)】
  8. 【連載】加島正浩「震災俳句を読み直す」第5回
  9. 猿負けて蟹勝つ話亀鳴きぬ 雪我狂流【季語=亀鳴く(春)】
  10. 寝化粧の鏡にポインセチア燃ゆ 小路智壽子【季語=ポインセチア(冬)】

Pickup記事

  1. 【特集】東日本大震災 10年を迎えて
  2. コンゲツノハイクを読む【2021年7月分】
  3. 俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第6回】熊野古道と飯島晴子
  4. 【書評】茨木和生 第14句集『潤』(邑書林、2018年)
  5. 【冬の季語】聖夜
  6. 鶯に蔵をつめたくしておかむ 飯島晴子【季語=鶯(春)】
  7. 【冬の季語】忘年
  8. 【クラウドファンディング実施中】『神保町に銀漢亭があったころ』を本にしたい!【終了しました】
  9. 秋の風互に人を怖れけり 永田青嵐【季語=秋の風(秋)】
  10. 【夏の季語】梅雨の月
PAGE TOP