友達になるかもしれない人
佐藤文香(「翻車魚」「鏡」同人)
私の近くに現れる女の子たちは、いっとき仲良くなっても、いつの間にか私から離れて行ってしまうのだった。私が出過ぎたことをして疎遠になることもあれば、私から連絡をしすぎないよう控えていると相手からは連絡が来なくて、ああ私は片思いだったんだと諦めることもあった。それで私はあるときから、女の子と接するときは男役や雑用を買って出ることで、みなさんのお役に立つ人としてつとめるようになっていた。そうではないやり方で付き合える同性の友人が現れたのは、20代の後半になってからだ。
阪西敦子と初めて会ったのがいつだったかは定かではないが、句会か飲み会かのどちらかだろう。Facebookの写真によると、2015年8月8日、今泉礼奈と3人で南千住のアジア料理屋で飲んだことが確認できた。2016年2月16日には銀漢亭で行われた阪西敦子生誕祭に参加している。彼女が以前働いていたNHKカルチャー教室で仕事をさせてもらったり、自分たちどころか母親たちまでイニシャルが同じだったり、どうも着ている服が似ていたりした。今は徒歩10分のところに住んでいて、もらいもののお裾分けをし合う仲だ。
2016年7月14日に銀漢亭で開催された句会について、当時のブログに書いた内容が残っていたので、ここに一部転載する。
「アルパカー祭」という、あっちゃんら先輩4名主催の句会に、結局行くことにした。黒岩や直さんも来るようだし、ひとりで夕飯を食べるのが淋しかったからだ。神保町の俳句居酒屋・銀漢亭にて1年に1度行われているらしい。私は初参加。「首」「長」「族」で1句ずつ持ち寄りとのことで、電車の中で〈万華鏡まはす手首や夏は雨〉〈眠る夜の水へミントの長き茎〉〈遺族として泣く君の半袖のシャツ〉の3句をつくった。
参加者は28人で、1人5句選。ふだんの句会は点盛りのあと合評に入るが、この句会は選んでおしまいのゲームなので、点数がすべて。私の成績はミントの句が2点、遺族が3点。万華鏡の句は7点を獲得し最高得点タイだった(もうひとりの7点はしなだしんさん)。最高得点賞はアルパカロングスポンジで、しんさんに譲ってもらったので、ありがたくいただいた。
あのころの私には淋しい日が多く、この夜は銀漢亭がありがたかった。「首」「長」「族」というお題、今見てもパンチがありすぎる。食器洗い用のアルパカロングスポンジは大事に使った。
太田うさぎという人をちゃんと把握したのはこのころからだろうか。アルパカー祭を阪西敦子とともに主催していたうちの一人で、いいかんじのお姉さんだなぁと思っていた。銀漢亭によくいる、というイメージの人だったが、銀漢亭で働いてもいるらしかった。
2019年から2020年にかけて、太田うさぎ句集『また明日』(左右社)をつくるお手伝いをさせてもらうことになり、彼女とは一気に親しくなったが、その途中で銀漢亭は閉店した。新型コロナウイルスのことがなければ、うさぎ句集のお祝い会は銀漢亭で行われていたに違いない。祝われながら店員もやる、バニーの耳でもつけた彼女が想像できる。
干海老に氷壁のごと冬瓜は 太田うさぎ『また明日』より
田楽の串に吉野の狐雨
亀鳴くや胡麻ほつほつとがんもどき
太田うさぎの食べ物の句は、洒脱なのに旨そうなのがすごい。なぜこんなに巧いのだろう。
自分と誰かとで密室的に関係を結ぶのではなく、まず心地よい場所や面白い機会があって、そこに自分や好きな人たちが集うという愛のありかた。このかたちを知ったことで、私は素晴らしい(同性の、いや、ふたりをはじめとして性別のことを考えないでいい)友人を得ることができた。俳句が好きな人たちがうまい酒を飲みに来る銀漢亭は、知っている友達だけでなく“このあと友達になるかもしれない人”がいる場所だったのだ。実際、近江文代さんや森羽久衣さんとは、最近になって仲良くなった。
私たちそれぞれの心に銀漢亭があるかぎり、そこから逃げる友はいない。あのときのことを何度でも話せるし、その会話をいとぐちとして、十年後はじめて友達になる人がいてもいい。
伊那男さん、みなさん。ありがとうございました。
【執筆者プロフィール】
佐藤文香(さとう・あやか)
1985年兵庫県生まれ。「翻車魚」、「鏡」にて俳句活動。句集『海藻標本』、『君に目があり見開かれ』。詩集『新しい音楽をおしえて』、掌編小説集『そんなことよりキスだった』。編著『俳句を遊べ!』、『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』など。