蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり 野村泊月【季語=蝌蚪・落花(春)】

蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり

野村泊月

 俳句を始める前だったら「もう桜も終わりだなあ。来年まで見られなくて寂しい。」と思っていたところだろう。いやいや、まだこれからが句作りの本番だ。むしろ満開の桜よりも「桜蘂降る」「残花」の方がその時、その場にいないと作ることが難しい。「葉桜」に至った時の感慨も大切にしたい。

 先週は超結社句会の前に中村かりんさん(玉藻)と新宿御苑で吟行。桜蘂も降っていたが、満開の桜にも散る桜にも出会えた。世話の行き届いた桜はやはり美しい。二人で十句出しの句会をしたのは至福のひと時だった。吟行に行って「行かなければよかった」と思ったことは一度もない。誘える相手がいる限りは一人で句材を取りに行くよりは少人数でも句会を持った方が良いのだと改めて実感した。

蝌蚪一つ落花を押して泳ぐあり

 水面に浮かぶ落花に魂が入ったかのような動きをとるものがあった。この動きの正体は何だろうとよくよく見てみると落花を押して泳ぐ蝌蚪(おたまじゃくし)がいた。漫画なら「よいしょ、よいしょ」と吹き出しを入れたくなるような愛らしい一場面である。

 落花は桜の花が舞い散るさまだけではなく散り敷いた花びらもさす。落ちていくさまは落花、散り敷いた花びらは花屑、と知らず知らずのうちに意味を狭めてしまっていたかもしれない。落花は水面にもあり、花筏になりきれない花びらの名前として改めてわが辞書に刻み込んだのである。

 この上五はどうしても〈蝌蚪一つ鼻杭にあて休みをり 星野立子〉を思い出してしまうが、立子の句は昭和三年作で泊月の句は昭和二年作。両句の関連については気にすることなく鑑賞したい。

 「泳ぐあり」はどことなく当時のホトトギスを思わせる表現である。今なら「泳ぎをり」などとするところだろう。あるいは季語でもある「泳ぐ」を避けて「進みをり」とする可能性が高い。また、「蝌蚪」と「あり」で主語と述語が離れているのでくっつけた方が良いとか「あり」がいらないなどの指摘も出るかもしれない。しかし、「泳ぎをり」では蝌蚪との距離が遠ざかるし、「進みたり」では蝌蚪のひょろひょろした泳ぎ方に合わない。「泳ぐあり」という少々こなれていない言い回しがかえって蝌蚪のありようにふさわしい。

 季語が複数あるので歳時記には収録しにくいのかもしれないが、淡々と詠んで愛らしい句として私のお気に入りには加えたのである。句集を読み進める中で何度も頁を戻し読み返してしまった一句。

 野村泊月(はくげつ)は。掲句を作った翌年にホトトギス同人となった。

『定本 野村泊月』(1951年刊)より。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


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