
雑魚寝して清十郎に遠きお夏かな
佐々木北涯
(『俳人北涯』)
「雑魚寝」は冬の季語で、節分の夜に京都府愛宕郡大原村井出にある江文神社の拝殿に村の男女が集まり参籠し、行われていた乱婚の風習のことである。「大原雑魚寝」と呼ばれ、井原西鶴の『好色一代男』には、庄屋の内儀から下女下人、娘から老婆まで身分老若問わず混じったことが記されている。『山州名跡志』に収録されている「大原物語」によれば、その昔、若狭に嫁いだ京の女が夫から逃れてきて、大原付近の川に身を沈めてしまった。馬に乗って追いかけてきた夫が川の横を通ると大蛇が現れ川に引き込もうとした。従者が石を投げつけると大蛇は退散した。以来、大蛇は大淵という池に棲みつき、時折現れては村人を捕まえて喰らった。村の男女は大蛇を怖れ、江文神社の拝殿に集まって臥して隠れた。これが大原雑魚寝の発端とのこと。乱婚が許されたこの行事は風紀上の問題があるとされ、明治時代には廃止された。俳句では季語として残っており、想像を膨らませて詠む。
作者の佐々木北涯は、慶応2年(1866年)、秋田藩佐竹領山本郡鵜川村生まれ。父の正綱、祖父の政茂も俳人であった。明治11年、13歳で児玉湖北の四教堂塾に入り、四書五経を学ぶ。明治26年、27歳の頃、地元の句会で実業家の島田五空と出会う。翌年、新聞「日本」の正岡子規が書いた俳論に触発され、日本派の俳句を学ぶようになる。明治30年、五空らと北斗吟社を設立し、俳誌「北斗」を発刊。明治33年には、正岡子規の弟子で秋田県出身の石井露月を加え、俳誌「俳星」を創刊。明治36年、秋田県会議員に当選し、4期連続で県議を務めた。農業の視察や研究を行い、開墾に貢献した。大正7年、52歳で病没。昭和8年、俳諧研究者の船山草花により、『俳人北涯』が出版された。北涯の評伝と俳句が収録されている。
北涯は、俳人であった父や祖父の影響により江戸俳諧の流れを受け継ぎつつ、正岡子規の日本派の詠みぶりを展開していった。今となっては珍しい行事季語の句は、ホトトギス俳人の訪問を受けて行った句会の席題だった可能性がある。新年に子宝を祈願して女性の尻を叩く「祝棒」、良縁祈願の「懸想文」など、艶っぽい行事をさらりと詠んだ。
前にあるかとすれば後へにお祝棒
梅が香に心ゆく夜や懸想文
端午の節句に行う「草合」、三重県の風習で他人の家の家財や妻を覗く「衝突入」なども知識から詠んだのだろう。想像を膨らませて、さも見て来たかのように可笑しみを交えて詠んでいる。
珍草の香もたゞならぬ合せけり
衝突入に端然として女かな
地元に根差し、実際に見て体験したこともしっかりと詠んでいる。故郷に生きる人々の暮らしや動植物を生き生きと描いた。
若うして家の主や着衣始
船玉のみてぐら濡るゝしぶきかな
生姜掘る土や蛙の生きてあり
唐箕唄豊かに年貢囃しけり
「俳星」創刊後は秋田県で俳句大会を開催し、その選者を務めた。北涯の名は郷土史に刻まれ、現在も多くの人に慕われている。
雑魚寝して清十郎に遠きお夏かな 佐々木北涯
「清十郎」「お夏」とは、江戸時代前期に播州姫路で起きた密通事件の恋人たちの名である。通称「お夏清十郎」と呼ばれ、多くの文芸作品の題材となった。
姫路城下にある大店の但馬屋にお夏という娘がいた。お夏はその店の手代である清十郎と恋仲となり駆け落ちをする。しかし、二人はすぐに捕らえられてしまう。清十郎は、娘をかどわかした上に店の金を持ち逃げしたとの濡れ衣を着せられ打ち首となる。それを知ったお夏は狂乱してしまう。
実際には、お夏と密通し店を追い出された清十郎を追って、お夏がうたいながら家を出て行ったぐらいの話だったらしい。やがてこの事件の噂が広まり、流行り歌にもなった。井原西鶴『好色五人女』の「姿姫路清十郎物語」は、この密通事件を題材にしたものである。清十郎が刑死してから50年後には、近松門左衛門の人形浄瑠璃『五十年忌歌念仏』が上演され、評判となった。「お夏清十郎」事件は、江戸時代においては、かなり有名であったらしく、後西院天皇による御製として〈清十郎聞け夏が来てなく時鳥〉が伝えられている。現在では、姫路市内の慶雲寺に比翼塚が伝えられ、「お夏・清十郎まつり」が開催されている。
掲句は、大原雑魚寝という季語に「お夏清十郎」の物語を組み合わせ、駆け落ちの一場面を描こうとした。中七の〈清十郎に遠き〉の字余りが気になる。もしかしたら、清十郎(せいじゅうろう)には、字余りを感じさせない読み方があったのかもしれない。ちなみに、人形浄瑠璃『五十年忌歌念仏』には、お夏が清十郎を「清(きよ)様」と呼ぶ場面がある。「清十郎」と書いて「きよさま」と読ませたとしても字余りになる。『五十年忌歌念仏』の後半では、清十郎が出奔した後、お夏は清十郎を追って歌いながら諸国を歩く。大原雑魚寝は、その際に訪れたという設定にもできる。だがやはり、駆け落ち中の二人が大原雑魚寝に混ざったと解釈した方が可笑しみがある。
秋田県在住の北涯にとって、大原雑魚寝は知識の上でしか知りようのない季語である。そこに関西の物語「お夏清十郎」をぶつけ、姫路から駆け落ちした二人が節分の夜に、大原雑魚寝に紛れ込んだというのは面白い発想である。〈清十郎に遠きお夏〉と表現したことにより、結ばれない結末を予感させる。「お夏清十郎」は、ロミオとジュリエットと同じように悲劇の恋人たちの名なのだ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。

【篠崎央子のバックナンバー】
>>〔197〕仮りにだに我名しるせよ常陸帯 松瀬青々
>>〔196〕初夢で逢ひしを告げず会ひにけり 稲畑汀子
>>〔195〕ひそやかに女とありぬ年忘 松根東洋城
>>〔194〕ある期待真白き毛糸編み継ぐは 菖蒲あや
>>〔193〕綿虫と吾ともろともに抱きしめよ 藺草慶子
>>〔192〕愛人を水鳥にして帰るかな あざ蓉子
>>〔191〕胸中に何の火種ぞ黄落す 手塚美佐
>>〔190〕猿のように抱かれ干しいちじくを欲る 金原まさ子
>>〔189〕恋ふる夜は瞳のごとく月ぬれて 成瀬正とし
>>〔188〕虫の夜を眠る乳房を手ぐさにし 山口超心鬼
>>〔187〕戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城
>>〔186〕霧まとひをりぬ男も泣きやすし 清水径子
>>〔185〕嘘も厭さよならも厭ひぐらしも 坊城俊樹
>>〔184〕天上の恋をうらやみ星祭 高橋淡路女
>>〔183〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
>>〔182〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
>>〔181〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
>>〔180〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
>>〔179〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
>>〔178〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
>>〔177〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
>>〔176〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
>>〔175〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
>>〔174〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
>>〔173〕寄り添うて眠るでもなき胡蝶かな 太祇
>>〔172〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
>>〔171〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
>>〔170〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
>>〔169〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
>>〔168〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
>>〔167〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
>>〔166〕葉牡丹に恋が渦巻く金曜日 浜明史
>>〔165〕さつま汁妻と故郷を異にして 右城暮石
>>〔164〕成人の日は恋人の恋人と 如月真菜
>>〔163〕逢はざりしみじかさに松過ぎにけり 上田五千石
>>〔162〕年惜しむ麻美・眞子・晶子・亜美・マユミ 北大路翼
>>〔161〕ゆず湯の柚子つついて恋を今している 越智友亮
>>〔160〕道逸れてゆきしは恋の狐火か 大野崇文
>>〔159〕わが子宮めくや枯野のヘリポート 柴田千晶
>>〔158〕冬麗や泣かれて抱けば腹突かれ 黒岩徳将
>>〔157〕ひょんの笛ことばにしては愛逃ぐる 池冨芳子
>>〔156〕温め酒女友達なる我に 阪西敦子
>>〔155〕冷やかに傷を舐め合ふ獣かな 澤田和弥
>>〔154〕桐の実の側室ばかりつらなりぬ 峯尾文世
>>〔153〕白芙蓉今日一日は恋人で 宮田朗風
>>〔152〕生涯の恋の数ほど曼珠沙華 大西泰世
>>〔151〕十六夜や間違ひ電話の声に惚れ 内田美紗
>>〔150〕愛に安心なしコスモスの揺れどほし 長谷川秋子
>>〔149〕緋のカンナ夜の女体とひらひらす 富永寒四郎
>>〔148〕夏山に噂の恐き二人かな 倉田紘文
>>〔147〕これ以上愛せぬ水を打つてをり 日下野由季
>>〔146〕七夕や若く愚かに嗅ぎあへる 高山れおな
>>〔145〕宵山の装ひ解かず抱かれけり 角川春樹
>>〔144〕ぬばたまの夜やひと触れし髪洗ふ 坂本宮尾
>>〔143〕蛍火や飯盛女飯を盛る 山口青邨
>>〔142〕あひふれしさみだれ傘の重かりし 中村汀女
