【秋の季語=三秋(8月〜10月)】秋風
「秋の風」はむかしから和歌にも詠まれてきましたが、俳諧では『世話盡』(1656年)が初出。17世紀の句では、芭蕉の〈石山の石より白し秋の風〉などが有名です。
「秋」は、五行説の金行にあたるので「金風」、また、秋の色が「白」にあたるので「白風」ともいいます。漢語である「素風」を歌語にしたものが、「色なき風」。久我太政大臣の〈物おもへば色なき風もなかりけり身にしむ秋の心ならひに〉(新古今)が有名です。
歳時記というネットワークのなかでは、春の「東風」、夏の「南風」、冬の「北風」とセットになっている言葉。でも、こういう幾何学的な、もっといえば「魔術的」な対称性から、よくよく考えてみれば、「秋の風」は微妙にズレたところあるのが面白味。「涅槃西風」というのはあるけれど、それは春の季語。その意味で「秋の風」って、ちょっと春夏秋冬のなかでも特殊というか、ちょっと複雑な季語ではあります。
「秋の風」とひとくちにいっても、現実には、初秋の風と、晩秋の風とではだいぶ趣が違うところもあり。あるときは秋の静けさと涼しさ、あるときは冷たさと荒涼たる感じ、その両面が「秋の風」にはあるような気がします。『ホトトギス新歳時記』には「引きしまった緊張と、うつろいゆくあわれを感じる」とあります。
【秋風(上五)】
秋風や藪も畠も不破の関 松尾芭蕉
秋風や手を広げたる栗のいが 松尾芭蕉
秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
秋風や静かに動く萩芒 高濱虚子
あきかぜのふきぬけゆくや人の中 久保田万太郎
あきかぜの疾渡る空を仰ぎけり 久保田万太郎
秋風やいのちうつろふ心電図 飯田蛇笏
秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎
秋風や黒子に生えし毛一根(こん) 芥川龍之介
秋風や空瓶並ぶ養命酒 阿波野青畝
秋風の下にゐるのはほろほろ鳥 富澤赤黄男
秋風の吹くとて濃ゆき口紅を 三橋鷹女
秋風やほむらをあげし曼珠沙華 三橋鷹女
秋風に孤(ひと)つや妻のバスタオル 波多野爽波
秋風が眼ふかくに来て吹けり 野澤節子
秋風や昼餉に出でしビルの谷 草間時彦
秋風や大きくなりし蟻地獄 深見けん二
秋風やはがねとなりし蜘蛛の糸 大峯あきら
秋風にカール・ルイスの影ものび 宇多喜代子
秋風の見える望遠鏡が欲し 高野ムツオ
秋かぜや身体ほどなる厠穴 安井浩司
秋風や射的屋で撃つキユーピツド 大木あまり
秋風にちりめんじゃこが泳ぎ着く 坪内稔典
秋風や向きをひとつに川の魚 太田寛郎
秋風の畳となりてゐたりけり 松尾隆信
秋風の二階を走る子供かな 山西雅子
秋風の遺影煙草をうまさうに 小川軽舟
秋風や暮らせば街は消えてゆく 関悦史
秋風の大阪弁に和む日も 依光陽子
秋風や羊楕円のひとみ持ち 冬魚
秋風やここはこの世のどこなのか 冨田拓也
秋風や家族のやうな鍋捨てて 黒澤麻生子
秋風をぱくぱくするのはやめなさい 北大路翼
秋風やきりんの家のあるところ 小川楓子
秋風のどちらが重い柩とピアノ 神野紗希
秋風か呼吸かモノクロの胎児 神野紗希
【秋風(中七)】
なきがらや秋風かよふ鼻の穴 飯田蛇笏
素朴なる卓に秋風の聖書あり 水原秋櫻子
ひとり膝を抱けば秋風また秋風 山口誓子
旅客機閉ざす秋風のアラブ服が最後 飯島晴子
遠くまで行く秋風とすこし行く 矢島渚男
髪ほどけよと秋風にささやかれ 片山由美子
吐く息のもう秋風になつてゐる 恩田侑布子
すれ違ふ秋風よりも颯と人 藤井あかり
【秋風(下五)】
ひとり膝を抱けば秋風また秋風 山口誓子
黒兎耳洗ひをり秋風に 関根黄鶴亭
タラップを最後に降りてくる秋風 秋尾敏
【その他】
藷畑にただ秋風と潮騒と 山本健吉