広島や卵食ふ時口ひらく 西東三鬼

広島や卵食ふ時口ひらく

西東三鬼

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 孤独と暴力の時代である。
 孤独と暴力が再評価される時代である。
 孤独と暴力に何らかの価値を見出さなければ正気を保てないほどに倫理の欠落した時代である。
 自己の利益最大化と保身に邁進し、目の前の暴力に目を塞ぐことが賢いとされる時代である。
 
 私たちは言葉によって、その言葉の誠実さによって、重い瞼を持ちあげなくてはならない。
 賢さとは諦念や冷笑ではなく、濁流に抗うための一本の杖である。

 昨日、8月6日は言うまでもなく広島に原爆が落とされた日であり、広島市では原爆戦没者の慰霊と恒久平和を祈念する式典が行われた。湯崎英彦広島県知事のあいさつは、近年の政治や選挙結果を踏まえながら、煽動的な世相に釘をさすような鋭い誠実さがあった。全文のリンクはこちら。一部を抜粋したい。

「自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力。あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきました。我が国も、力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを、身を以て示しています。」

 掲句は西東三鬼の代表句にして終戦直後の「いま」を生々しく17音に閉じ込めた、畏るべき無季俳句。ゆで卵を剝くときの感触はケロイドの皮膚がずり落ちる質感と重なり、剥きたてのつるつるの卵は、そこに存在しえない健康で無垢な赤子の膚そのものだ。口中のなまあたたかい闇は栄養を欲する生への渇望か、はたまた欲望のままにすべてを呑みこまんとする獣の闇か。人が人を殺すための指示も、二度と人が人を殺すことのないように祈ることも、口中の闇から他者へ伝えられていく言葉なのだ。「広島や」の切れは何十万人もの無念を間違いなく背負っている。

 最後に、西東三鬼『続神戸』より、掲句が生まれた場面を三鬼自身が書いているので紹介したい。

 仕事が終って、広島で乗り換えて神戸に帰ることになり、私は荒れはてた広島の駅から、一人夜の街の方に出た。
 曇った空には月も星もなく、まっくらな地上には、どこかしらしめった秋風が吹いてくる。手さぐりのように歩いている私の傍に、女の白い顔が近づき、一こと二こと何かいう。唇がまっくろいのは、紅が濃いのであろう。だまっていると「フン」といって離れてゆく。私は路傍の石に腰かけ、うで卵を取り出し、ゆっくりと皮をむく。不意にツルリとなめらかな卵の肌が現われる。白熱一閃、街中の人間の皮膚がズルリとむけた街の一角、暗い暗い夜、風の中で、私はうで卵を食うために、初めて口を開く。

広島や卵食う時口ひらく

という句が頭の中に現われる。
 私の前を、うなだれた馬が通る。くらやみの中の私に気がついたのか「フーッ」と鼻息を立てる。それはほんとうに馬であるか。
 風が、遠くの方から吹いてくる。人の嗚咽のように細い。去年の夏、この腰かけている石は火になった。信じ難い程の大量殺人があった。生き残った人々は列をなして、ぞろりぞろり、ぞろりぞろり、腕から皮膚をぶらさげて歩いた。
 そのひきずった足音が、今も向うから近づく。ぞろりぞろり、ぞろりぞろりと。
 私はくらやみに立ち上る。一歩あるいて、立ったままの松の骸につき当る。どこかで、水の音がするのは、水道の鉛管がやぶれているのだろう。のどがカラカラに渇いていることに気がつく。月もなく、星もなく、何もない。あるのは暗い夜だけだ。人間は人間を殺すために、あんなものを創り出した。そして私もその人間という名の動物なのだ。
 「ニヒリズム」と心中につぶやいて、おなじ心中で冷笑する。そんな感傷はここにはない。アメリカでも、イギリスでも、ソ連でも、日本でもなく、そのすべての人間の悪が、私を締め木にかけて、しぼり上げる。
 広島の駅で深夜の汽車に乗り、私は神戸に帰った。太陽があり、秋の色の山があり、深い海があり、人々が立って歩いている神戸が、昨夜見た広島と地つづきだとは、どうしても思えなかった。

※引用文中の仮名遣いは朝日文庫『現代俳句の世界9 西東三鬼集』第1刷による。

(古田秀)


【執筆者プロフィール】
古田秀(ふるた・しゅう)
1990年北海道札幌市生まれ
2020年「樸」入会、以降恩田侑布子に師事
2022年全国俳誌協会第4回新人賞受賞
2024年第3回鈴木六林男賞、北斗賞受賞
2025年第2回鱗-kokera-賞受賞


◆第一句集
冬泉野生の馬も来るといふ

自由でのびやかな把握とやわらかな言葉使いが挙げられよう。(序より・日原 傳)

◆自選十句
何を見る必要ありや鯨の目
二階には店員の来ぬ日永なり
減つてゆく蝌蚪に別れのとき近し
春惜しむすぐに大きくなる熊と
ほうたるの百葉箱のまはりにも
山に来て山の話や星月夜
大柄なひとのさしたる秋日傘
復元の書斎から雪よく見ゆる
耳飾り揺らして上がり絵双六
冬の浜拾へば大切な貝に



【2025年8月のハイクノミカタ】
〔8月1日〕苺まづ口にしショートケーキかな 高濱年尾
〔8月2日〕どうどうと山雨が嬲る山紫陽花 長谷川かな女
〔8月3日〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
〔8月4日〕熱砂駆け行くは恋する者ならん 三好曲
〔8月5日〕筆先の紫紺の果ての夜光虫 有瀬こうこ

【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子
〔7月17日〕蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇 冬野虹
〔7月18日〕宿よりは遠くはゆかず夜の秋 高橋すゝむ
〔7月19日〕蟬しぐれ麵に生姜の紅うつり 若林哲哉
〔7月20日〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
〔7月21日〕恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ
〔7月22日〕闇よりも山大いなる晩夏かな 飯田龍太
〔7月23日〕ハイビーム消して螢へ突込みぬ 岩田奎
〔7月24日〕水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補
〔7月25日〕夕立の真只中を走り抜け 高濱年尾
〔7月26日〕短夜をあくせくけぶる浅間哉 一茶
〔7月27日〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
〔7月28日〕おやすみ
〔7月29日〕夏帽子大きく振りて角曲がる 大角泰子
〔7月30日〕どの部屋に行つても暇や夏休み 西村麒麟
〔7月31日〕水羊羹のなかに棲みたる遠さかな 佐々木紺

【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕なし

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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