【クラファン目標達成記念!】神保町に銀漢亭があったころリターンズ【9】/小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人)


いや重け吉事

小田島渚(「銀漢」「小熊座」同人


はじめて銀漢亭に行ったのは、平成25年1月の新年会のとき。

年号を難なく割り出せるのは、東日本大震災が平成23年3月にあり、その翌年に、「銀漢」創刊同人小野寺清人さんが高校時代の友人の叔父上という繋がりで「銀漢」に入会、その一年後の新年会に初参加というように記憶が簡単につながるからだ。

宮城県には、「銀漢」所属は当時2名しかいなかったが、銀漢亭は、「小熊座」の高野ムツオ主宰や宮城県俳句協会でご一緒している浅川芳直さんのように「行ったことがある」という方が少なからずいらっしゃり、どこかでつながっている感じがしていた。

新年会は湯島天満宮で、学問の神様・湯島天神にあやかっての健吟祈祷の後、境内の宴会会場で行われ、大変賑やかであった。遠方からの参加ということで突如任命されたスピーチでは、宮城県多賀城市で晩年を過ごした大友家持の一首を万葉学者犬養孝先生の犬養節で、一年の幸いを願って吟詠した。

新しき年の初の初春の今日降る雪のいや重け吉事/大友家持 (巻二十・4516)
(あらたしきとしのはじめのはつはるのきょうふるゆきのいやしけよごと)

会終了後、二次会会場の銀漢亭へ徒歩で移動したのだが、銀漢亭に着いた頃にはすっかり疲れてしまい、銀漢亭ではなく2階の発行所で休んで終わってしまった。

新年会のご縁で、志村昌(銀漢同人)さんにいただいた『犬養萬葉かるた』。株式会社ブティック社(出版社)創始者の志村さんの兄上が犬養先生の大ファンで歌碑も五基建立されている。かるたは、戦後万葉集を楽しむため犬養家で手造りしたもの(文字は犬養先生ご自身の手書き)を復刻し同社から出版されたもの(現在絶版)。

その後、銀漢亭に伺えたのは、大倉句会や金星句会、銀漢句会などの句会の前後で10回もないと思う。令和元年10月に開催された片山一行さんの松前ネット句会オフ会の二次会が最後となった。伊藤伊那男主宰はカウンターや調理場に立ち、料理を作っておられたが、その合間を縫って、真剣そのもののお姿で選句もされていた。お忙しいのにいつも気さくに声をかけてくださった。

私は静かな場所を好む小食動物で飲めもしないので、居酒屋は得意ではなく、銀漢亭もおそるおそるという感じであった。細長い店内に大勢が集って会話が弾んでいた。2ℓのウーロン茶のペットボトルを抱えて店の隅っこに座っていたら、「似合う」と褒められ(?)たり、いつの間にか私も皆さんの輪の中にいた。

令和2年5月の閉店を聞いたときはとても寂しく思った。行けた回数はわずかでも銀漢亭の時間のなかに私の俳句の時間も流れていたのだ。その時間が止まり、つながりが断ち切られてしまうような気がしたからかもしれない。

しかし、堀切克洋さんのセクト・ポクリットで「神保町に銀漢亭のあったころ」を読み、そうではないことに気づいた。今ではお知り合いになった方々、例えば結社(銀漢)外なら、堀田季何さん月野ぽぽなさん樫本由貴さん黒岩徳将さん山岸由佳さん川嶋ぱんださん後藤章さん佐怒賀正美さんも銀漢亭とつながりを持たれていることがわかった。

つながりは切れるどころかますます広がっていたのである。そしてこれからも銀漢亭はその名のとおり宇宙的につながりを広げていってくれるに違いない。


【執筆者プロフィール】
小田島渚(おだしま・なぎさ)
銀漢」同人・「小熊座」同人、第44回宮城県俳句賞、第39回兜太現代俳句新人賞、仙臺俳句会(超結社句会)運営。現代俳句協会会員、宮城県俳句協会常任幹事


【神保町に銀漢亭があったころリターンズ・バックナンバー】

【8】金井硯児(「銀漢」同人)「心の中の書」
【7】中島凌雲(「銀漢」同人)「早仕舞い」
【6】宇志やまと(「銀漢」同人)「伊那男という名前」
【5】坂口晴子(「銀漢」同人)「大人の遊び・長崎から」
【4】津田卓(「銀漢」同人・「雛句会」幹事)「雛句会は永遠に」
【3】武田花果(「銀漢」「春耕」同人)「梶の葉句会のこと」
【2】戸矢一斗(「銀漢」同人)「「銀漢亭日録」のこと」
【1】高部務(作家)「酔いどれの受け皿だった銀漢亭」


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