三人の師と銀漢亭の素敵な人々
鷲巣正徳(「街」同人「豆の木」所属)
私の20代、浅間山荘事件がテレビ報道されていた1972年、私は比較外国憲法学の樋口陽一准教授と出会いました。3年間のゼミを通して学問の核心がイデオロギー批判であり、それを支えるものが個人のエートス(ethos)であることを学びました。
30代、美術教室で斎藤國靖先生と出会いました。バルテュス(Balthus)の作品の模写を通して、己の表現技術を己の情熱が超える瞬間の法悦を得ました。
60代、「街」の今井聖主宰と出会いました。<今>を生きる私の生を刻印する俳句をめざすことを学びました。そしてしばらくしたある日、「街」の竹内宗一郎さんに銀漢亭へ連れて行ってもらいました。それからは事あるごとに川越から通い詰めました。
何がそんなに私を惹きつけたのでしょう。
それは、人の魅力ではないかと思います。
店主の伊藤伊那男さんをはじめ、太田うさぎさん、近恵さん、天野小石さん、阪西敦子さん、相沢文子さん、堀切克洋さん、西村麒麟さん、小野寺清人さん、竹内宗一郎さん等々。俳句を始めたばかりの私にとって、そこは驚異の空間でした。そこに行けば誰かが必ずいましたし、また誰かが必ずやって来ました。
それは変な例えですが、私の学生時代に所属していた楽焼工芸同好会の部室に、ちょっと似ていました。そこでは、四季折々句会があり、たくさんの人達との出会いがありました。句会の後には、恒例の小野寺清人さんの焼きそばや清人さんの郷里気仙沼から直送された牡蠣が出ました。
ある日ふと寄ってみると、最後の湯島句会の打ち上げとのことで、店からはみ出した人々が店の前の道路にたくさん詰めていました。ものすごい光景でした。
また、第一回「雲を呑む会」という一泊吟行で、池田のりをさん、今井麦さん、森羽久衣さん、小野寺清人さん等と米沢を訪れたことも懐かしく思い出されます。
今私は、文字通り俳句に支えられて生きております。銀漢亭で出会った全ての人達に深く感謝しつつ!
【執筆者プロフィール】
鷲巣正徳(わしのす・まさのり)
1952年1月5日、埼玉県に生まれる。「街」同人、「豆の木」所属、俳人協会会員。句集『ダ・ヴィンチの翼』(私家版2019年6月1日)