【第13回】
神戸と西東三鬼
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
神戸は兵庫県の南東部にあり、古くから大輪田泊での対宋・対明貿易や海運が盛んで、西国街道が通じ灘五郎等酒造業も名高い。幕末に開港した日本を代表する国際的な港湾都市で、阪神工業地帯の一翼を担う県庁所在地である。
山沿いには、開港当時の外国人居留地の名残の異人館が多数残り、後述の「三鬼館」のある北野町山本通周辺は、昭和五十五年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、観光コースとなった。西には、源氏物語のゆかりの須磨浦がある。平成7年1月の阪神・淡路大震災で市内全域が壊滅的な被害を受けたが、その後急速に復興を遂げた。
露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す 西東三鬼
六甲を低しとぞ凧あそぶなる 阿波野青畝
白梅や天没地没虚空没 永田耕衣(大震災)
どちらから吹くも春風風見鶏 後藤比奈夫
初がすみうしろは灘の縹色 赤尾兜子
地下室にワイン眠らせ夏館 山尾玉藻
鮊子の海に淡路の横たはる 三村純也
妻来たる一泊二日石蕗の花 小川軽舟
〈露人〉の句は、第二句集『夜の桃』に収録。自註で「ワシコフは私の隣人。氏の庭園は私の家の二階から丸見えである。商売は不明。年齢は五十六、七。赤ら顔の肥満した白系露人で細君に先立たれ独り暮らしである」と記す。
「この句には巧まざるユーモアがある。ワシコフという舌を噛みそうな固有名詞も効果的だ。三鬼のユーモアは、彼の無表情に胚胎する。だが、直叙的で、俳句的イロニックな把握はない」(山本健吉)、「ワシコフの奇矯な振る舞いを二階の窓から無表情で見下ろしている三鬼。この句はストレートに状況を述べており、それだから可笑しくも哀しい」(清水哲男)、「シンガポール時代に体験した祖国喪失者としての認識がこの白系露人に同情する」(田中亜美)等の鑑賞がある。神戸時代を描く小説『神戸・続神戸』は、戦時中の、自身の周りの多様な民族の人達が登場し、その泣き笑いの日々を通して、戦時中の港町神戸の持つ国際的な混沌とした現実が、妖しく浮かび上がる傑作である。
西東三鬼は、明治33(1900)年生れ、本名斎藤敬直。父は代々藩の漢学者の家系で、小学校長、郡視学を歴任した。6歳で父を、18歳で母を亡くし、日本郵船勤務の長兄の庇護のもと、青山学院中学部を経て大正14(1925)年、日本歯科医学専門学校を卒業。同年結婚して、長兄在勤のシンガポールで歯科診療所を開院し、ゴルフや中近東の友人との交遊等、自由な暮しを送っていたが、日貨排斥不況とチフス罹病で帰国。自営ののち就任した神田共立病院歯科部長時代(33歳)に俳句を始めた。
新興俳句勃興期でもあり、寝食を忘れて句作に没頭。昭和10(1935)年には同人誌「扉」創刊、平畑静塔の勧めで「京大俳句」にも加入し、戦争等をテーマにした無季俳句に傾注した。同15(1940)年2月には、静塔、仁智栄坊、井上白文地等、5月には、三谷昭、石橋辰之助、渡辺白泉等が、治安維持法違反で検挙されたいわゆる「京大俳句事件」の時も、「天香」を創刊し、第一句集『旗』を上梓したが、8月31日に、自身も検挙され、句作執筆禁止を条件に起訴猶予となる。
その二年後の昭和17年、妻子を捨て東京を出奔。単身神戸に移り、当初はトーア・ホテル(中山手通二丁目)、その後空襲を避け、山本通四丁目の西洋館に移る。この館は、空襲を受けず、戦後は静塔、橋本美代子、山本健吉、永田耕衣等も訪ね、「三鬼館」と呼ばれた。(写真は萌黄館=北野 神戸観光局=)
同22(1947)年、石田波郷、神田秀夫と「現代俳句協会」を創設。山口誓子の「天狼」創刊同人(編集長)として活躍し、同二十三年には第二句集『夜の桃』、同27年には、第三句集『今日』と旺盛な創作活動に加え、「断崖」を創刊し主宰となった。同31(1956)年、「俳句」編集長就任のため、上京。俳人協会設立にも参加したが、第四句集『変身』上梓後の同37(1962)年4月1日、胃癌にて逝去。享年62歳。
死後『変身』は第二回俳人協会賞を受賞。同46年には、『西東三鬼全句集』が刊行され、平成13年、出身地津山で、西東三鬼賞が創設された。俳号の西東は本名の斎藤、三鬼は「サンキュー」を捩り、ユーモアとペーソスに溢れる俳人として、忌日も三鬼忌として定着している。
「伝統に抵抗するとともに、伝統に抵抗する自分にも抵抗する。時には自分の育てた後輩にも抵抗する」(山口誓子)、「いつの間にか濃密な幻想世界へ引き込む三鬼。俳句の世界からはみ出し、そのはみ出し様において日本の俳句をより広く、刺激的なものにした型破りな作家だった」(五木寛之)、「初期から特定の師につこうとせず、爾来何事も特定の師系に拘束されない俳人として貫徹した」(直弟子の三橋敏雄)、「日本のハードボイルド小説の名作『神戸・続神戸』、三鬼は俳壇という静かな池に闖入したやんちゃ坊主であり、池全体に新しい活力を与えた」(小林恭二)。
水枕ガバリと寒い海がある
白馬を少女瀆れて下りにけむ
算術の少年しのび泣けり夏
緑陰に三人の老婆わらへりき
葡萄あまししづかに友の死をしかる(篠原鳳作逝去)
昇降機しづかに雷の夜を昇る(治安維持法違反と曲解の句)
湖畔亭にヘヤピンこぼれ雷匂ふ
おそるべき君等の乳房夏来る
枯蓮のうごく時きてみなうごく
まくなぎの阿鼻叫喚をふりかぶる
赤き火事哄笑せしが今日黒し
限りなく降る雪何をもたらすや
広島や卵食ふ時口ひらく
穴掘りの脳天が見え雪ちらつく
炎天の犬捕り低く唄ひ出す
暗く暑く大群集と花火待つ
中年や遠くみのれる夜の桃
父のごとき夏雲立てり津山なり
秋の暮大魚の骨を海が引く
春を病み松の根つ子も見あきたり(辞世)
俳句スタートは33歳で、一歳下の既に名をなしていた誓子、草田男、草城等の「ホトトギス」の俊英を凌ぐために、新素材・戦争想望等の新興俳句に意欲的に取り組んだ。17文字の魔術師と言われ、自由奔放に見えるも、戦後は人間の悲しみを徐々に浮かび上がらせる俳句群。それ故に永遠に我々を引き付け、虜にするのではあるまいか。
(「青垣」33号 加筆再編成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会会員。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。2017年7月より「俳壇」にて「日本の樹木」連載中。「沖」蒼芒集同人。「塔の会」幹事。
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