恋となる日数に足らぬ祭かな いのうえかつこ【季語=祭(夏)】

恋となる日数に足らぬかな

いのうえかつこ
(『奉納』)

 祭は夏の季語である。古くは、夏を告げる京都の葵祭が有名であったが、現代では東京の三社祭などを思い浮かべる人も多いだろう。7月の祇園祭もまた京都だけでなく全国各地の八坂神社にて行われる。基本的には、祭は神のものであり、春や秋の祭は五穀豊穣の祈願や感謝のために行い、夏の祭は災厄からの加護を祈るものが多い。神に供物や舞いを捧げ、ともに遊ぶことで神の御心を鎮めようとした。祭では、神の御霊を乗せた神輿を担ぎ、地元の神を褒め、豪華に飾った山車を曳く。いつしか祭は人のものとなり、一年がかりで準備するものもある。土地にはそれぞれ固有の祭があり、生涯を祭のために捧げる人もいる。現在では、子供達が夏休みに入った頃に地域の活性化のために祭を開催するところも多い。大きな祭も小さな祭も含めて俳句では「祭」とする。

 私が学生時代にしばしの間暮らしていた埼玉県熊谷市には「うちわ祭」という八坂神社の例大祭があった。毎年、7月の20日から22日までの3日間行われる。人形を飾った鉾型の山車6台と装飾だけの屋台6台が、賑やかな熊谷囃子とともに市内を巡回し、国道の両脇には夜店が連なる。その日だけは地元の企業は休みとなり、逆にその日だけは、休業日でも営業する店もあった。

 今から30年ほど前のことである。当時私は、繁華街のショットバーでアルバイトをしていた。地元出身のバイト仲間は、数か月前から祭の練習や打ち合わせがあり、休みがちになる。バイト先に行く途中の公民館や神社では祭囃子の練習をしている音が鳴り響く。バイト先の店には、呉服屋がやってきて祭衣のデザインの確認をしている。よそ者の私にも、その祭の重要性がひしひしと伝わってきた。

 店長と厨房のチーフは同じ地区の出身のため、山車を曳く日が20日と決まっており、その日だけは閉店日となった。21日と22日は、祭に関わる者も関わらない者も交代で店に入った。祭2日目のことである。賑やかな通りを抜けて店に入るとまだ祭姿の先輩が開店の準備をしていた。「今日はその恰好でカウンターに立つのですか?」と聞くと、「ちょうど良かった。店長とチーフは買い出しで遅れるみたいなんだ。どうせ今日は9時過ぎまで客は来ない。俺さ、昨日初恋の女の子と再会しちゃって、今日も一緒に山車を曳く約束をしたんだ。だから、後はよろしく」と、私の肩を叩いて出て行った。先輩は地元出身で、遠距離恋愛中の恋人がいたはずだった。私がぽかんとしていると店長とチーフが帰ってきた。事情を説明すると店長は「しょうもないヤツだな」としか言わなかった。結局、先輩は祭の2日目だけでなく3日目もシフトに入っていたのにも関わらず、出勤しなかった。

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