戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城【季語=新米(秋)】

 牙城氏は、俳人プロデューサーとしての業績が名高いが、俳人としても常に時代の先をゆく新しい俳句を詠んでいる。波多野爽波から学んだ写生を根底に置きつつ、生活や風土を人間臭く詠む。俗にあって俗にあらず、時には哲学的でもある。作者は、俳句も文章も旧仮名文語体で、漢字も旧字体である。言葉や表記に対し強い拘りを持つ。

※以下の引用句は、当方の都合により新字体で引用することをお許しください。

 第一句集『袖珍抄』は、第一回雪梁舎俳句大賞を受賞した。東京から長野県佐久市に移住し、歳時記とは異なる季節感に触れたことにより、規定概念にとらわれない詠み方を実践した。生活実感を大切にすべきという考え方が見える句集となっている。

 東京での仕事の激務や俳壇に対する憂いを経て、たどり着いた佐久での暮らしは、やすらぎに満ちていたのだろう。豊かな地での発見が風情を持って描かれている。

  欠伸より長き晩鐘葛の花

  極月を鳥のかたちの雲動く

  星のあるたつきに屠蘇を酌みかはす

  山畑を打ちて柱となる夕日

  借景は落葉松にして田水沸く

 いつしか佐久は第二の故郷となり、土地の風土にも馴染んでいった。

  母郷とは涼しき道のあれば足る

  ご近所の死に損なひの焚く火かな

  また神の話はじまるおでんかな

  春は筍とりあへず米と炊く

 40歳を過ぎて、青春を引きずる身体にも老いが忍び寄ってくる。都会から離れて暮らす焦りもあったのではないだろうか。老いを詠むのもまた一筋縄ではいかない。

  末枯に犬の小便見て立てる

  木星へ白き枯木となりてをり

  鼻毛より白髪はじまる梅の月

 妻子を得て生活は満たされていた。農村の暮らしは、破天荒な性格の作者にも平穏な景色をもたらしたのだ。

  兄弟にふにやとへにやあり桃畑

  緑立つ嬰に齧られゐる玩具

  弟が兄にやさしく心太

  銀漢を見ざる妻子を寝にやりぬ

  いつまでもとほき妻にて暮の秋

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