戀の數ほど新米を零しけり 島田牙城【季語=新米(秋)】

  戀の數ほど新米を零しけり  島田牙城

 昨年からの米不足の影響で今年の新米は、例年の二倍の値段で売られている。新米の出荷に伴い、安価の貯蓄米はスーパーから消えてしまった。米不足で無くとも新米は貴重である。ふっくらと丸み帯び、きらきら光る新米は、こぼれないよう米櫃に入れ、洗う時も細心の注意を払う。それでも、静電気などで袋にくっついてしまう米やさらさらと水に流れてしまうはぐれ者の米はあるものである。それが、恋の数といわれると多いのか少ないのか判断に迷ってしまう。掲句は、佐久時代の句である。佐久平は見渡すかぎり田んぼで、秋には黄金の稲穂波で覆われる。農家から買い取る際にこぼれてゆく新米を詠んだのか、手で掬った際にこぼれた米を詠んだのか。自身の恋の数なのか、農作業から出荷に関わった人々の恋の数なのか。実は、角度によっては、多くも少なくも見える数なのである。

 私は、袋から米櫃に移した際にこぼれた新米の数だと理解している。全ての米を入れ終ったと思って、袋を米櫃から離すと袋の裾の折り目などに残っていた米が散らばることがある。それを手でかき集めた時に、過ぎ去った恋の残像のようにきらきらして見えたのだ。手放した恋というのは、美しく見えるものだ。ひとつひとつは、小さいけれども凝縮された存在感を持つ。掲句は、恋の数の多さを詠んだのではなく、こぼしてしまった新米への愛おしさを詠んだのではないだろうか。

 第二句集『誤植』には、恋を詠んだ句がいくつかみられる。

  ひるまずに降る雪さては雪の戀

  閨にあり粗相のやうな月明り

  帰りたる神失恋はお手のもの

 一般的な恋にも自身の恋のようにも見えるのだが、過去も含めて自身の恋であろう。若い頃は美男子であった作者のことだから、たくさんの恋をこぼしてきたのだ。

 男性は、過去の恋を勲章のごとく覚えているものである。いい女だったとか、変な女だったとか、漠然とはしているものの、美しく想い返すものだと聞いている。ひどい別れ方をしても、もったいないことしたなと想うらしい。10人なのか20人なのかは分からないけれども、人生からこぼれていった女たちは、一夜限りの通りすがりの恋だったとしても、その時その瞬間は本気だったのだ。新米のように一粒一粒が輝いている。そんなふうに恋を大切に想う人であると考えたら、やっぱりもてる男だったのだろう。実は、30粒以上だったのでは。

 牙城氏もあと数年で70歳。今の生活を支えてくれる奥様を大事にして、これからは、酒も恋もほどほどにね。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】
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