散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの【季語=牡丹(夏)】

 ただ明確なのは、女性は恋の魔法がいつかは解けるものであることを心のどこかで知っているということだ。魔法が解ければ次の魔法を探すのである。だから想い出は全て捨てるのだ。新しい魔法が手に入れば古い魔法は着られなくなった服と同じである。男性は、一度魔法にかかったら、解けても後遺症が残る。それはきっと、自分以上に愛したものだからであろう。

 小学生の頃、切手を集めていた。だが高校を卒業する頃には興味がなくなっていたため、二束三文で処分してしまった。夫もまた切手を集める趣味があったらしく、いまだに赤茶けた切手を大事にしている。値が下がらないうちに売れば良いのにといつも思っている。きっと、私は切手を集めている自分が好きだっただけで切手が好きだったわけではなかったのだ。だけれども夫は苦労して手に入れた切手は魔法が解けても美しいままなのだろう。

  散るときのきてちる牡丹哀しまず   稲垣きくの

 作者の稲垣きくのは明治生まれ。大正の終わり頃から昭和初期にかけて活躍した女優である。撮影所を退社後、俳句を始める。大場白水郎主宰の「春蘭」「縷紅」を経て、久保田万太郎に師事。「春燈」同人。万太郎の死後、鈴木真砂女とともに安住敦に師事。昭和41年に第2句集『冬濤』で第6回俳人協会賞受賞。恋の句の多い作者である。稲垣きくのについては、土肥あき子氏がウェブサイト「詩歌梁山泊~三詩型交流企画」の「戦後俳句を読む」にて紹介している。いつか評論集として出版して欲しいと願っている。

 牡丹に寄せた恋の句を多く残す作者。当該句も恋の句として受け止めた。女優時代に結婚するも数年で離婚。女優引退後は財力のある年上の男性と長きに渡り恋人関係にあり、死別後は若き恋人を得たとも言われている。恋の句の多くは、若さを失った頃より増え始める。どこまでが真実でどこからが回想なのか。恋を失ってから生まれる恋の句があっても良いのだ。

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