大いなる手袋忘れありにけり 高濱虚子【季語=手袋(冬)】

大いなる手袋忘れありにけり

高濱虚子


先日「今度引越しをするから何か助言をくれないか」と言われて、「とにかくダンボールを多めにもらっておけ」と返したのは、なかなか良かったのではないかと思っている。
それというのも、引越し屋さん(親しみを込めてこう呼びたいと思う)はだいたい親切だが、当然仕事でやっているわけで、指定の段ボールに入ったものしか運んでくれない。
そして引越しの荷物というのは思いもしないところからズルズル、ズルズルと出てくるもので、「おおよそまとまったかな」と感じたところの、ちょうど倍くらいの量になるのが相場だからだ。

実際に、私はダンボール代を惜しんで大変なことになったことがある。親切な引越し屋さんが再三注意してくれたにもかかわらず、「その手には乗るか」と思って少なめに申告してしまい、大量の荷物を自分の手で運ぶことになった。あれは本当に大変だった。

日を置いて、その質問を寄越した友人から再度連絡があり、引越しの手伝いに呼ばれた。行けば、案の定大変なことになっている。人間というのは浅はかで、引越しの荷物は思っている倍出てしまうし、再三注意されてもダンボール代を惜しんで少なめに申告してしまうのが相場だからである。——

前置きが長くなってしまった。結局、引越しといってもそう距離のあるものではなかったので、何度も自転車で往復して荷物を運んだ。そのときの気温は五度前後で、指がちぎれそうなほどに冷たくなって、掲出句がしきりに心中に浮かんだのである。

大いなる手袋忘れありにけり  虚子

季語は「手袋」。手や指を寒さから守るもので、現代の我々の生活にもよく馴染んだ防寒具である。
上五「大いなる」は単に手袋のサイズをいったものとしても読めるが、偉大なさま、あるいは重大なさまをあらわす語としてとれば、俳味とともに、冬のしみるような寒さがよく伝わってくる。
あまり映像的な句ではないが、冷たくなった手の様と、手袋のありがたみはじゅうぶんに語られているであろう。

それでは、この句が単に「手袋」を大袈裟にいって見せただけの平坦な句かといえば、やはりそうではない。

「忘れあり」という表現の含蓄がこの句では非常に重要である。
「手袋」はここでは当然「ない」のであるが、あえて「忘れてある」という言い方にしている。それは「ない」ことを示すのに「〜ある」という語を用いた言葉遊び的発想として重要だというのではない。
 「〜ある」という形となったことで、一句は忘れ置かれた「手袋」の存在を浮かび上がらせているのである。
 ところが、持主の側には当然「手袋」はないわけであるから、「手袋」の存在感の強調は一転、「手袋」不在の感を強調することとなり、その空白、欠落感を鮮やかに描き出しているといえる。

ここにおいて、先に触れた「大いなる」という印象的な表現は、「手袋」を形容するばかりでなく、前言の欠落感それ自体をも装飾する言葉となる。
下五「ありにけり」という、切れを用いつつ一句に十分な余白を持たせたつくりも効果的で、なにかあるべきもの、希求するものを欠いたままにした空虚さ、さみしさをも含ませた句となっているのである。

そうした感慨が見られることをふまえれば、やはり「手袋」という季語は秀逸だ。
たとえば「掴む」という言葉に代表されるように、我々は何かを得ること、失うことを、手の動作に仮託して捉える向きがある。しかも、「手袋」の不在を通してこの一句にあらわれる手は、冬の空気の中で、冷たさという一種鮮烈な感覚を持って描き出されている。
ここまでに述べてきた欠落の感に、肉体的な感覚が重ねられてくるのである。

欠落、空白ということに筆を割いてしまったが、私はこの句が大いなる喪失を捉えた深刻な句であるといいたいわけではない。むしろ、この句はそうした要素はどちらかといえば後衛に控えさせているのであり、それゆえに論を尽くす必要があっただけのことである。

一句にあらわれるほのかな寂しさ、欠落感は、「大いなる」という大仰な詠みぶりによる俳味とあわせて、どこかかわいた印象をもたらし、それが冬の空気と非常に上手く調和しているといえよう。

加藤柊介


【執筆者プロフィール】
加藤柊介(かとう・しゅうすけ)
1999年生まれ。汀俳句会所属。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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