
しぐるるや駅に西口東口
安住敦
海側か山側か。これは指し示す場所が線路に対して海側か山側かという質問である。その確認方法は総武線や東西線沿線の生活圏は便利に使われていた。海に沿って走る電車の出口はかなりの確率で海側か山側に向かって出るからだ。
実はこの「山側」というのが厄介な言い回しなのだ。千葉県、特に総武線や東西線沿線には山らしい山がない。それなのに海側への対義語として山側としてしまったため、現地を知らない人にはすぐに呑み込めないのである。
千葉の県立高校の同級生までは何の苦もなく通じる言葉だった。大学あたりで怪しくなった。社会人になってからはその分け方に苛立ちを隠せない人まで出現した。
長野に引っ越した高校の同級生から数年前「海側山側」という識別方法が千葉県北西部の海沿いにしか通用しないときいたのは新鮮な衝撃だった。
駅での待ち合わせで出口を決めておくことは重要だ。しかし最近では便利さを追求して出口が増えすぎ、「〇〇口」など店の名前の出口になったりしていてイメージがつかみにくい。池袋駅の西武東口はまだ推測できるとして横浜駅の「きた東口A」、「きた東口B」、「きた東口C」、「みなみ東口」、「みなみ西口」、「きた西口」となるともはや異次元だ。JR神田駅の北口(モンダミン口)(南、東、西口にも商品の名前が!アース製薬がネーミングライツを取得している)もなかなか捨てがたい。不便だけど楽しい世界。
しぐるるや駅に西口東口
「田園調布」の前書きがあるが、身近にあるどの駅を思い描いても良いだろう。ちなみに田園調布駅の旧駅舎は平成2年に解体され、現在は地下駅となっている。平成12年に旧駅舎はシンボルとして復元されているので、掲句の世界を味わいに行ってみるのも良いかもしれない。
この句は西口と東口で済む程度の小さな駅を舞台に繰り広げられた、時雨に濡れたある日の物語。西口東口が問題になるということから登場人物が一人ではないことが推察される。二人が別の出口で待ち、ちょっとしたすれ違いがあったのかもしれない。それが土砂降りの台風ではなく時雨である点が味わい深い。
何よりこの句、音読してみて心地よい。「しぐるるや」の部分は滑らかに流れ、「駅に」の「に」から「西口東口」へとつながるので「東口西口」と間違えることは決してない。「西口東口」のシンプルな押韻は弾むようなリズムだ。
時雨と聞くと真っ先に思い出してしまう一句。西口あるいは東口という言葉を聞いても、それが夏だとしても時雨を思ってしまう。
『古暦』(1954年刊)所収。
(吉田林檎)
【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)。
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