【連載】歳時記のトリセツ(11)/佐藤りえさん


【リレー連載】
歳時記のトリセツ(11)/佐藤りえさん


今年2022年、圧倒的な季語数・例句数を誇る俳句歳時記の最高峰『新版 角川俳句大歳時記』が15年ぶりの大改訂! そんなわけで、このコーナーでは、現役ベテラン俳人のみなさんに、ふだん歳時記をどんなふうに使っているかを、おうかがいしています。歳時記を使うときの心がけ、注意点、あるいは歳時記に対する注文や提言など……前回の小津夜景さんからのリレーで、第11回は「豈」同人の俳人で、歌人でもある造本作家の佐藤りえさんです。


【ここまでのリレー】村上鞆彦さん橋本善夫さん鈴木牛後さん中西亮太さん対中いずみさん岡田由季さん大石雄鬼さん池田澄子さん干場達矢さん小津夜景さん→佐藤りえさん


──初めて買った歳時記(季寄せ)は何ですか。いつ、どこで買いましたか。

角川文庫の「第三版俳句歳時記」(角川書店/1996年・初版)です。平成八年、購入場所はかつて仙台駅前にあった、アイエ書店駅前店。仙台の書店では珍しく詩歌の棚がそこそこ充実していて、よく立ち読みをしました。当時安月給で困窮していたので、季ごとに安価な文庫で手に入るのがとても有難かったことを覚えています。新年の部だけ買い損ねましたが、一冊500円でした。

──現在、メインで使っている歳時記は何でしょうか。

上記の第三版俳句歳時記と、合本俳句歳時記新版(角川書店)がメインです。以前は句会に虚子編季寄せ(三省堂)を持参していましたが、近年は手ぶらです。

──歳時記はどのように使い分けていますか。

つくる場合は、第三版俳句歳時記と合本俳句歳時記新版の他に虚子編新歳時記増訂版(三省堂)、山本健吉の「基本季語五〇〇選」(講談社学術文庫)などを見ています。読む場合や調べものの折にはさらに「俳諧歳時記栞草」(岩波文庫)改造社の「俳諧歳時記」など。少し毛色が違いますが加藤郁乎「江戸俳諧歳時記」(平凡社)も楽しいです。

──どの歳時記にも載っていないけれど、ぜひこの句は収録してほしいという句があれば、教えてください。大昔の句でも最近の句でも結構です。

どこかに掲載されているかもしれませんが、蕪村の「硝子(びいどろ)の魚おどろきぬ今朝の秋」。掲載されているなかで特に好きなのが「第三版俳句歳時記」の藤後左右「帰郷して蜜柑山でもやりたまへ」。初読でアッハッハとなって、今でも好きです。

──自分だけの歳時記の楽しみ方やこだわりがあれば、教えていただけますか。

楽しみ…といいますか、おカネがない時期、歳時記は自分にとって完全に読み物でした。雑誌も句集も気軽には買えず、いちばん身近な「たくさん俳句が載っている書物」だったわけです。フツーに例句を読んで、こんな句もあるのか、みたいな。最初に買った春の部にはマーカーで好きな句に線引きがしてあります。もう売れません。売らないけど。時折「歳時記のどこを見るのか?」といった話題になると、例句を読まないひとが意外に多いんだなと感じます。どっちが良い悪いということでもなく、いろいろあるのだなと感心しました。

りえさんの歳時記

──自分が感じている歳時記への疑問や問題点があれば、教えてください。

たとえば、春の部の季語に「鞦韆」があります。傍題にはだいたい「秋千」「ぶらんこ」「ふらここ」「ふらんと」「ゆさはり」「半仙戯」などと書かれています。このなかで、「ふらんと」の解説や例句がほとんど見られません。改訂されたばかりの大歳時記にも、考証がありません。例句があるとしても、自分が見た範囲ではたった一句、「ふらんどや桜の花をもちながら/一茶」しか挙げられていません。例句の記載がないほうが多いように思います。

そもそも「ふらんと」を使った句を、この一茶の一句以外に見たことがありません。…と、もにょもにょしていたところ、評論の雄・今泉康弘さんが『図説俳句大歳時記』(角川書店/1964)角川ソフィア文庫『一茶句集』にそれぞれ一句、所収があることをご教示くださいました。しかしいずれも一茶の句であり、やはり一茶以外の作例は発見できていません。

このように使用例が少なく、考証もない語がなぜ傍題として採用されているのか。ポリティクスには興味ないのですが、この言葉がどこから出て、どのぐらい一般的なものだったのか、他に使用されている例はないのか、一茶独自の言葉というより、地方のものなのか。このことはきちんと調べて、いずれ纏めてみたいと思っています。

…みたいなことを考えることが時々あります。

──歳時記に載っていない新しい季語は、どのような基準で容認されていますか。ご自分で積極的に作られることはありますか。

今、インターネットの検索エンジンに「歳時記」と入力すると、俳句の歳時記ではなく四季折々、季節特有の行事・気候のことなどがずらっと挙がってきます。社会で一般的に「歳時記」と思われているものは、もう俳句の歳時記ではないのでしょうね。ごっちゃになっているのかもしれません。世に言うその「歳時記」は、文化の変遷や気候変動にかかる社会の要請によって変化していくことでしょう。俳句の歳時記は、「じゃないほうの歳時記」として、死守されていっていいんじゃないでしょうか。そんなわけで、新しい季語を特に欲しませんし、作ることもしません。

──ということは、「そろそろ歳時記に収録されてもよいと思っている季語」を考えたりはされないということですね。

上記のとおりで、特に追加の希望もありません。

──逆に歳時記に載ってはいるけれど、時代に合っていないと思われる季語、あるいは季節分類を再考すべきだと思われる季語があれば、教えてください。

複数の歳時記をお持ちの方はお気づきかと思いますが、改訂されるごとにすでに多少の変動はあるのですよね。たとえば改造社「俳諧歳時記」春の部には「苦力(クーリー)来る」なんて季語があります。「今」にそぐわない、という感覚を中心にするのはいささか拙速かとも思われます。特に読むにあたってはあれこれ変更などしないで欲しいと思いますし、作るときに不便、というのも、自分にはピンときません。

──季語について勉強になるオススメの本があったら、理由とともに教えてください。

移動の際よく山本健吉の「句歌歳時記」(新潮文庫)を読んでいます。これは週刊新潮の連載をまとめたもので、季ごとに健吉が選んだ短歌と俳句が並び、短く簡明な解説が付されています。短歌と俳句の季感の処理、把握などの違いが一目瞭然で、何度読んでも面白いです。

筑紫磐井「季語は生きている」(実業公報社)は新資料も参照しつつ歳時記発生の洗い直しをしています。日本気象協会の「二十四節気論争」についての資料、まとめも付されています。かの論争について、唯一の記録なのでは。

──最後の質問です。無人島に一冊だけ歳時記をもっていくなら、何を持っていきますか。

池田澄子さんの回がおもしろくて、挙げられていた「現代俳句用語表現辞典」を買ってしまいました。今ならこれを。編者の視点におおいに学ぶところありです。

──以上の質問を聞いてみたい俳人の方がもしいれば、ご紹介いただけますか。テレフォンショッキング形式で…

「豈」の先輩、高山れおなさんにおつなぎします。氏は近年、堀河百首・永久百首・六百番歌合などの題詠「百題稽古」に取り組んでおられます。翻車魚ウェブの日記的散文「パイクのけむり」に制作ノート的文章(2021年11月の「パイクのけむりⅪ ~写生文ネオ 広沢池眺望~」など)があってこちらも興味深いです。近世以前の題をうっちゃり続けている氏に、この機会に歳時記について語っていただきたい所存です。

──それでは次回は、「豈」同人の高山れおなさんにお願いしたいと思います。本日は、素晴らしい歳時記トークをありがとうございました。


【今回、ご協力いただいた俳人は……】
佐藤りえ(さとう・りえ)さん
1973年生。「豈」同人、「俳句新空間」個人誌「九重」発行人。著書に句集「景色」、歌集「フラジャイル」など。「九重」は3号出たばかり、絶賛発売中です。
BOOTH : https://poppen-do.booth.pm/



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