殺さないでください夜どほし桜ちる
中村安伸
人間はみないずれ死ぬ。だとしたら、死んだあとはどうなるのだろう。
「ほら、ここだよ」
「ネコ?」
「ネコっていうか、元・ネコ」
「死んだらネコじゃなくなるの?」
「死んだらなんでもそうだよ」
是枝裕和監督の映画『怪物』に描かれるやり取りだ。視点人物の湊は、ある日、同級生の依里に連れられて、校舎裏でネコの死骸を見せられる。続けて、依里が「このままだと、生まれ変われないかも」と呟くと場面が切り替わり、山奥にある湊と依里ふたりの秘密基地でのシーンになる。依里は、運んできたネコの死骸に枯葉を被せ、取り出したロングノズルのライターで火をつけるのである。
依里の理屈で言うと、人間は死んだら人間ではなくなるということになる。そして、「生まれ変わる」ために、肉体の焼却が必要になるということらしい。〈肉體に依つて我在り天の川〉とは三橋敏雄の句であるが、肉体をもつことも、人間を人間たらしめる一因であると納得する。
死んだら人間ではなくなってしまうということは、生が人間にレーゾンデートルを付与しているということになる。「死ぬこと以外は掠り傷」というような言説や、「社会的な抹殺」というような比喩表現も、生きることそのものに価値を見出しているからこそ言えることであろう。
まだ死んでいないから逆説的に生きていることが証明されるというのは、この連載初回で僕が書いたことだが、その生に価値があるのかどうかはまた別問題だと思っている。価値のない命があると言いたいわけではない。今、生きて在る自分にとって、生の価値を自覚できるかというのが問題なのである。生きる価値とはどういうことなのか、死ぬことがその価値を定義するのか。人間であることとはどういうことなのか。生まれ変わることを信じるとはどういう営みなのか。考えたいことはたくさんある。
少なくとも、どんな時に生の価値を見出し、生に縋るのかといえば、死に際が一つのタイミングであることは、感覚的に分かる。掲句は、『虎の夜食』所収の一句。「殺さないでください」と述べる人物――あるいは人間ではない何かである可能性もあるが、どちらにせよ、理不尽に命を奪おうとしてくる他者に対して懇願することで、生への執着を見せている。「夜どほし桜ちる」とは、耽美な景色だ。生への執着とは、なんと醜く、なんと美しいのだろう。花が散る様子はしばしば人の畢生の終りと重ねられるが、この「往生際」こそ永遠に近い時間の長さが感じられはしないか。
今回も、歌詞を引用して筆を擱こうと思う。僕が敬愛するまふまふさんの楽曲『終点』から。
こんな詩も音も
肯定も否定も未練も
四季折々の光彩も
何処にも残らない
暗闇が
答えだった 答えだった
吸い尽くすような暗闇が
ボクらの未来だった
願っている もういいんだって
救われやしないんだ
微睡の奥深く
堕ちていく
(若林哲哉)
【執筆者プロフィール】
若林哲哉(わかばやし・てつや)
1998年生まれ、「南風」同人(編集部)。第14回北斗賞受賞。第一句集『漱口』、鋭意制作中。
【2025年4月のハイクノミカタ】
〔4月1日〕竹秋の恐竜柄のシャツの母 彌榮浩樹
〔4月2日〕知り合うて別れてゆける春の山 藤原暢子
〔4月3日〕ものの芽や年譜に死後のこと少し 津川絵理子
〔4月4日〕今日何も彼もなにもかも春らしく 稲畑汀子
〔4月5日〕風なくて散り風来れば花吹雪 柴田多鶴子
〔4月6日〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
〔4月8日〕本当にこの雨の中を行かなくてはだめか パスカ
〔4月9日〕初蝶や働かぬ日と働く日々 西川火尖
〔4月10日〕ヰルスとはお前か俺か怖や春 高橋睦郎
〔4月11日〕自転車がひいてよぎりし春日影 波多野爽波
〔4月12日〕春眠の身の閂を皆外し 上野泰
〔4月15日〕歳時記は要らない目も手も無しで書け 御中虫
〔4月16日〕花仰ぐまた別の町別の朝 坂本宮尾
〔4月17日〕殺さないでください夜どほし桜ちる 中村安伸
【2025年3月のハイクノミカタ】
〔3月1日〕木の芽時楽譜にブレス記号足し 市村栄理
〔3月2日〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
〔3月3日〕走る走る修二会わが恋ふ御僧も 大石悦子
〔3月4日〕あはゆきやほほゑめばすぐ野の兎 冬野虹
〔3月5日〕望まれて生まれて朧夜にひとり 横山航路
〔3月6日〕万の春瞬きもせず土偶 マブソン青眼
〔3月8日〕下萌にねぢ伏せられてゐる子かな 星野立子
〔3月9日〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
〔3月10日〕逢ふたびのミモザの花の遠げむり 後藤比奈夫
〔3月11日〕落花無残にみやこは遠き花嵐 秦夕美/藤原月彦
〔3月12日〕春嵐たてがみとなる筑波山 木村小夜子
〔3月14日〕のどかにも風力7の岬です 藤田哲史
〔3月15日〕囀に割り込む鳩の声さびし 大木あまり
〔3月17日〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
〔3月18日〕春深く剖かるるさえアラベスク 九堂夜想
〔3月19日〕寄り合つて散らばり合つて春の雲 黛執
〔3月20日〕Arab and Jew /walk past each other:/blind alleyway Rick Black
〔3月22日〕山彦の落してゆきし椿かな 石田郷子
〔3月23日〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
〔3月24日〕野遊のしばらく黙りゐる二人 涼野海音
〔3月25日〕蚕のねむりいまうつしよで呼ぶ名前 大西菜生
〔3月26日〕宙吊りの東京の空春の暮 AI一茶くん
〔3月27日〕さよなら/私は/十貫目に痩せて/さよなら 高柳重信
〔3月31日〕別々に拾ふタクシー花の雨 岡田史乃
【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩
〔2月22日〕恋猫の逃げ込む閻魔堂の下 柏原眠雨
〔2月23日〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
〔2月24日〕薄氷に書いた名を消し書く純愛 高澤晶子
〔2月25日〕時雨てよ足元が歪むほどに 夏目雅子
〔2月27日〕お山のぼりくだり何かおとしたやうな 種田山頭火
〔2月28日〕津や浦や原子爐古び春古ぶ 高橋睦郎