母の日のてのひらの味塩むすび 鷹羽狩行【季語=母の日(夏)】

母の日のてのひらの味塩むすび
鷹羽狩行

  「母の日」は5月の第2日曜日で母に感謝をする日と定められている。アメリカで始まって日本に伝わったのは大正時代だが、一般的に広く認知され定着したのは戦後である。
 「母」からイメージされる事柄を詠もうとすると、どうしても料理や裁縫といった家事に勤しむ姿になるのだろう。次の三句にもそのことが窺える。
 
  母の日のあくまで丸く芋煮ゆる 長谷川秋子
  母の日やそのありし日の裁ち鋏 菅裸馬
  母の日の雑巾かたく絞りたる  元恒桂子

どの句もどことなく「すでに亡き母」あるいは「子は独立し、一緒には住んでいない母」を詠んでいるように感じるのは気のせいだろうか。もともとの始まりも、ある女性が亡母を偲んで人々に白いカーネーションを配った出来事であることからも、母親というのは目の前から存在が消えた後でしみじみと想う対象なのかもしれない。不在だからこそ、「家族のために家の中の仕事を献身的に引き受け、子どもたちには無償の愛情を注ぐ女性」というステレオタイプな母親像が先行し、今もしみじみと母を慕う子どもの姿(≒作者)が詠まれがちなのだと考えることもできる。
 
   母の日もふるさと遠し桐の花  行方克己 
   母の日や母を泣かせし日もありぬ 土岐カツ子
   母の日の鏡の中に母の顔    村上万寿香
   道光りおり母の日のニューヨーク 対馬康子
   母の日の母ある妻をうらやみぬ 尾村馬人
   母の日の水こんこんと陶の町  長谷川双魚
   母の島を遠目に足浸す     吉田鴻司

 上記の後ろの2句からは、命の根源ともいえる「水」と「母」のイメージは近しいことが分かり、興味深い。
少数派ではあるが、存命でかつ同居している母の姿、母である妻の姿を詠んだ句もある。存命の母を詠んだ句の中には、高齢で認知症になっているのが分かるのも現代的と言えるだろう。

  母の日が母の日傘の中にある 有馬朗人
  母の日の母は無欲でかぞえ歌 吉田幸子
  母の日の母のひと言「どちら様」 杉浦和生
  母の日や冷えゆく足の爪を切る 栗原真理子
  母の日を妻の日とせり花一輪  瀧上一歩 
  母の日の妻や白髪のなじみたる 児島道昌
 
 「母の日」は子どもから母親に謝意を伝える日とされているためか、作者自身(または作中主体)が「母」であるケースは見つけづらかった。下記の句などは、作者が母であるとも、「芯の強き母」というイメージから作ったとも考えられる。

  母の日を過ぎて山椒の葉の強し 細見綾子

 結局、「母」というのは、子から与えられる役割なのだ。生物学的に妊娠・出産したからと言って、必ず「母」になれる訳ではない。例えば未婚女性が妊娠すると、社会的・経済的に追い詰められ、出産を諦めなければいけない場合は、堕胎によって体に大きな負担がかかったり、最悪のケースでは誰にも相談できないまま妊婦検診にもかからず、危険な状態で孤独な出産をし、そのまま新生児を殺めてしまう事件が後を絶たない。
 内密出産や匿名で子どもを託すことを受け入れてくれる医療機関は、まだ限られてはいるのが現状である。内密出産については厚生労働省からガイドラインが出されたり、与党自民党のプロジェクトチームで制度設計に向けた検討が始まったりなどの動きはあるが、妊娠・出産を女性一人だけの責任であるかのように非難する声も根強いのが現状である。この世に生まれてきた命を守ることを最優先に考えるのであれば、現実的に一体何が必要なのかは明らかだろう。思いがけない妊娠・出産に「母」になることの選択肢が保障されていないことは、個人の問題ではなく、社会全体で取り組むべき課題であると、改めて考えた「母の日」であった。

渡部有紀子


【執筆者プロフィール】
渡部有紀子(わたべ・ゆきこ)
天為」同人。第37回俳壇賞、第9回俳人協会新鋭評論賞第1句集『山羊の乳』(第1回初花賞)。俳人協会会員。藤沢市俳句協会会員。



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