【短期連載】茶道と俳句 井上泰至【第8回】


【第8回】
人の「格」をあぶりだす夏服


  羅の二人がひらりひらり歩す  星野立子

 盛夏の景である。「ひらりひらり」は「羅」そのものとも、それを着ている女二人の歩き方とも解せる。ポイントは「二人」である。糸の密度を粗くして風通しをよくした布地で仕立てられた「羅」には、上布(じょうふ)、紗(しゃ)、絽(ろ)などがあり、裏地を付けずに仕立てて、軽さが涼を呼ぶ。そしてその軽さは、立子が見逃さなかったように、女二人でこそ可視化される。

 「羅」の模様には藤やあやめ、魚や流水などがあしらわれ、視覚からも涼やかに装う。帯、帯揚げ、帯締め、長襦袢などは薄物専用のものになる。茶会では、浴衣は基本ご法度である。フォーマルを旨とするからである。

 個人的な想い出を一つ。大学の卒業式で、学科を代表して卒業証書を受け取る大役を任された。成績が良かったという自慢ではない。成績なら女子でもっと「優」の数が多かった人はいた。男子指定なのである。先輩が、和服で登場、各学科女性ばかりが壇上に立つ中、国文学科ここにありと評判を呼んだので、二匹目の泥鰌を狙ったに過ぎない。

 教授から言われた。「着流しだけは着てくるなよ!」。そう。着流しは、時代劇では、お奉行さまの世を忍ぶ仮の姿、「遊び人の金さん」の扮装なのである。サングラスやジーンズと同様の格なのだ。

 結婚式シーズンのホテルニューオータニで、羽織袴に着替え、一人とぼとぼと花嫁に逃げられた花婿のようないでたちで式に向かった。周囲の視線は集中する。隣に座ったいかにも真面目な英文学科の総代の女子が、私を見るなり、「井上さんは、落研だったのですか?」と聞いてくる。

 我ながら、フォーマルな和装も着流しっぽく着崩してしまう軽薄さが漂っていたのには呆れた。私はサングラスや帽子は似合わない。尖ったフリーな感覚の扮装は、人間の軽さを引き出しすぎて、お笑いにしか見えない。アロハ(夏シャツ)や白ジーンズは似合うと言われる。幸い体重は二〇代から変化がなくやせ型である。着流しの中にフォーマル感が残っている服がちょうどらしい。「ひらりひらり」が生き様や思考の本質にあるのだと思う。

 着物は人間を選ぶし、人間の本質を引き出す。まるで、五七五の定型で、自分の心や生き様が試される俳句と同じではないか。

和服の格、茶会の格、そして土地柄

  夏帯の軽げに後ろ姿かな   高浜年尾

  夏帯の縫ひの銀絲の灯をはじき   同

白ジーンズの話をしたが、和服では、「羅」に合わせるのが「夏帯」である。白が盛夏の茶会にはあふれる。白地の帯は汚れも、くたっとした「お古感」も目立つのでよほどパリッとした白の際立つものでないと埋もれてしまう。

  どかと解く夏帯に句を書けとこそ  高濱虚子

 こうみてくると、虚子に揮毫を請うた女は、「どかと解く」色気を失った中年の感がただよう。あまり揮毫をそそられない暑気あたりの辟易した状況も、笑いとともに浮かぶ。白の多い「夏帯」だからこそ揮毫に向いているが、「どかと解く」女が自慢げに、自分の句の揮毫を見せびらかして夏帯を締めているのも、乗り気にはなりそうにない。次の句のような品格が、夏の和装では如実に試される。

  羅に汗さへ見せぬ女かな   高濱年尾

 着物には大きく分けると「やわらかもの」と「かたもの」の2種類がある。「やわらかもの」(染めの着物)は、糸を織って白生地にした後で染めあげたもの。「かたもの」(織りの着物)と呼ばれる着物は、糸を先に染色してから織りあげたもののことである。

 着物の格としては、「やわらかもの」はフォーマル、「かたもの」はカジュアルとなるため、茶会にふさわしいのは「やわらかもの」となる。

 やわらかものをさらに説明すると、それは訪問着や付け下げ、色無地、江戸小紋、小紋などをさす。茶会は、規模や格式が様々ある。初釜、炉開き、口切りなど格式が高い行事では華やかさがポイントとなる。訪問着や色留袖、染め抜き一つ紋の色無地に、古典柄の袋帯を結ぶのが定番。年齢制限はあるが、振袖もありだ。

 大人数が集まる大寄せのお茶会や野点なら、小紋を着るケースも多い。上品な幾何学模様の江戸小紋や飛び柄の小紋は、大人の女性を演出する茶会向きである。小紋には金糸銀糸や箔の入った古典柄の帯で格式を保つ。先の年尾の句の「銀絲」も小紋に合わせた名古屋帯のそれか。

 月釜などの親しいお仲間とのお茶会なら、訪問着、付け下げ、色無地や江戸小紋(染め抜きの一つ紋、縫い三つ紋や一つ紋、洒落紋)などかなり幅が出てくる。関東は小紋、関西は花柄が特徴で、着物の模様にも地域差がある。

 江戸っ子そのものの小紋ならば、かつては池内淳子、現代なら天海祐希が似合う。池内は両国、天海は下谷出身。関西らしい花柄が似合う女優は、かつては山本富士子、現代なら北川景子あたりか。山本は京都、北川は神戸出身。季語にも葵祭や祇園祭のような京都のものと、神田祭や三社祭のような江戸のものでは、全く異なる。祭りや芝居見物、それに茶会は、ひとつの舞台だから、都市文化の違いが明確に出る。鄙びた盆踊りや、阿波踊りとは、これまた一線を画す。この多様性を面倒と見るか、豊かさと見るかで、文化への感度は大きく違ってくる。

 日本の衣食住の文化の画一化は止めようもない流れだが、文化の奥座敷の通路として、季語は財産なのである。



【執筆者プロフィール】
井上泰至(いのうえ・やすし)
1961年、京都市生まれ。上智大学文学部国文学科卒業。同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。現在、防衛大学校教授。著書に『子規の内なる江戸 俳句革新というドラマ』(角川学芸出版、2011年)『近代俳句の誕生ーー子規から虚子へ』(日本伝統俳句協会、2015年)『俳句のルール』(編著、笠間書院、2017年)『正岡子規ーー俳句あり則ち日本文学あり』(ミネルヴァ書房、2020年)『俳句がよくわかる文法講座: 詠む・読むためのヒント』(共著、文学通信、2022年)『山本健吉ーー芸術の発達は不断の個性の消滅』(ミネルヴァ書房、2022年)など。


【井上泰至「茶道と俳句」バックナンバー】

第1回 茶道の「月並」、俳句の「月並」
第2回 お茶と水菓子―「わび」の実際
第3回 「水無月」というお菓子―暦、行事、季語
第4回 茶掛け―どうして芸術に宗教が割り込んでくるのか?
第5回 茶花の心
第6回 茶杓の「天地」―茶器の「銘」と季語
第7回 集まる芸の「心」と「かたち」

井上泰至「漢字という親を棄てられない私たち」バックナンバー

第1回  俳句と〈漢文脈〉
第2回  句会は漢詩から生まれた①
第3回  男なのに、なぜ「虚子」「秋櫻子」「誓子」?
第4回  句会は漢詩から生まれた②
第5回  漢語の気分
第6回  平仮名を音の意味にした犯人


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