毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。
【第27回】
鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
黒木三千代の第三歌集『草の譜』(砂子屋書房、2024)には鯉の歌が多い。歌集はIからⅧまでの八部構成となっているが、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ、Ⅵに鯉の歌を見つけた。Ⅳの「ひかりの飛沫」やⅥの「奈良依水園」は、鯉を題材とする連作である。
同心円のさびしさか死は 水分の鯉の背中をみづが流れる (Ⅱ「鬱」)
Ⅱの「鬱」の連作の一首。水分(みくまり)の一語が池の鯉に神性を帯びさせる。敬虔な気分に浸ることになる。
鯉溜りふかきところにまろび入りまどろみ長かりし蓮の実ひとつ (Ⅱ「輪王蓮」)
一首の主題は蓮の実であるが、そこは「鯉溜り」である。
池底に凹めてつくる鯉溜り膚擦り合ひて鯉が冬越す (Ⅱ「輪王蓮」)
前掲の一首に続く一首。一首には「鯉溜り」について「三尺掘り下げる」との言葉が付されている。冬を越す鯉。
存在感うすくなる吾をぬばたまの夜の大鯉が来ては撫でゆく (Ⅱ「声」)
夜の鯉が吾を撫でてゆく。幻想の鯉の世界に引き込まれる。鯉に撫でられることによって吾は少しだけ救われる。
見にゆかむぼとぼと重き冬の鯉、腹すりて泥けぶるところを (Ⅲ「告別」)
Ⅲの連作「告別」の最後から二首目に置かれた一首。友を送った後には、鯉との時間を持とうとする。
万象の稜確かなる冬の日を溶けたるやうにま鯉ら見えず (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
掲出歌はⅣの冒頭の連作「ひかりの飛沫」の一首目。連作「ひかりの飛沫」は八首で構成されている。七首の後に「*」を置き、最後の一首を載せる。冬の池の「ま鯉」は見えない。
羊歯の葉の水漬くみぎはに膚冷え動かずゐたり赤い鯉白い鯉 (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の三首目。水漬く羊歯の葉が印象的。鯉は水面近くまで浮上している。
水中に漂ふやうにゐる鯉のまづ尾びれ振り居処を移せり (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の四首目。尾びれを振ることによって鯉の移動がなされることを観察する。
やはらかな曲線生れて鯉を追ふ鯉が尾鰭をひとつ打ちたり (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の五首目。鯉が鯉を追う様子が観察されている。尾びれの動きは曲線を生む。
生殖のこと知らざれど刃を入れてなほ跳ぬるとふかれらの力 (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の六首目。「かれら」は鯉。生殖と刃。性と生。死への抗い。
この鯉はさつき膾にされた鯉まるい鱗の数だけの傷 (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の七首目。恐れ多くも鯉の膾を食する。鯉は傷つき、その身を供する。
江戸の世のひかりがそこに残りゐる光琳屛風に鯉はをらずき (Ⅳ「ひかりの飛沫」)
同連作の八首目。緒方光琳の屏風絵。連作の締めとして、鯉の不在を詠った。
終日をみづを煽りてゆく胸鰭ばかりこのふるくにに (Ⅳ「ふるくに」)
胸びれは鯉のものかどうかは明示されていないが、鯉の歌として読みたい。「ふるくに」は、故郷を指すものでもあり、今住んでいるところを指すものでもある。日本を指すものでもある。胸びれに尾びれの力強さはない。
死ににゆく鯉名の銀平 言はざりしことばはさながらに胸に滴る (Ⅴ「中黒」)
「鯉名」の鯉。長谷川伸原作の『鯉名の銀平』は何度か映画化されているようだ。また、「鯉名川」という名前の川が静岡県の伊豆下田にあるようだ。
氷のうへの鯉の洗ひをうつくしみ言ふたまゆらのこゑが重なる (Ⅴ「たまゆら」)
鯉の洗い。「たまゆらのこゑ」はそこにいる人たちの声かもしれないが、そこには鯉の声が重なるようだ。
雪白の麩の屑流れ鯉はおぼろに浮き上がりくる (Ⅵ「奈良依水園」)
Ⅵの連作「奈良依水園」は八首で構成されている。冒頭からの三首は奈良依水園について、その後の五首は鯉について詠んでいる。掲出歌は連作の四首目に置かれている。麩を求めて浮上する鯉。
泥吸つて吐いて泥喰つて太る鯉 沈砂池といふ夢の中みち (Ⅵ「奈良依水園」)
連作の五首目。泥を喰う鯉。
雨降りし日のその夜に産卵するとふコイ科ワタカ恋ほしき (Ⅵ「奈良依水園」)
連作の六首目。ワタカは日本固有種らしい。雨上がりの日の夜に産卵するらしい。
たつぷりとぬくいあまみづ踏みしめて胸びれ立ててきみを産むべし (Ⅵ「奈良依水園」)
連作の七首目。ワタカの産卵。ワタカの胸びれ。
翳り合ふ生きもの鯉は 水中に交差するとき少し死ぬらし (Ⅵ「奈良依水園」)
連作の八首目。生と死の交差。少し死ぬ。それ以外は生き続ける。
以上、黒木三千代の第三歌集『草の譜』の鯉の歌を見てきた。黒木の鯉はときに神性を見せ、ときに供物と化す。黒木にとって、性と生と死の幻影と現実の中に鯉が大きな位置を占めているようだ。
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0
【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
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【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
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【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021)
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】