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街坂に雁見て息をゆたかにす 福永耕二【季語=雁(秋)】


街坂に雁見て息をゆたかにす

福永耕二


 

福永耕二について知りたい方は、大林桂の「青春のかたみ――遺句集『散木』を頂点とした福永耕二論」という文章がおすすめだ。最近では、仲栄司による『墓碑はるかなり―福永耕二論』(邑書林、2018年)という好著もあった。

1970年には能村登四郎を主宰として「沖」が創刊されたとき、耕二は34歳の若さで「馬酔木」編集長に就任した。そして、1972年に上梓された第一句集『鳥語』の冒頭に、この句は収録されている。

耕二は、鹿児島生まれだが、雁が毎年飛来するのは、東北・北海道のほうである。故郷から遠く離れた旅の地で見た、本物の雁。命がけで列島までやってきた雁の姿に、自身をどこか重ねあわせている。安堵と決意が感じられる句だ。

自伝的にいえば「青春俳句」ということになるのかもしれないが、ここではあくまで言葉の上で、「息ゆたか」なる日本語に注目してみよう。

たとえば、草田男に〈息の白さ豊かさ子等に及ばざる〉という句がある。あるいは、西島麦南に〈白き息ゆたかに朝の言葉あり〉という句がある。これは、もわもわとした白息の大きさが見える。これらの「ゆたかに」は「たつぷりと」のシノニムだ。

しかし、〈街坂に雁見て息をゆたかにす〉は、あくまで内的な感覚であって、目に見えるわけではない。いいかえれば、空高く悠々と飛ぶ雁の姿を見て、体が軽くなったような感じがしたのだ。まるで、自分も空を飛べるかのように。

この錯覚された全能感を、もしかしたら私たちは「若さ」と呼んでいるのかもしれない。「できないこと」が「できるかもしれない」と思わなければ、飛来してくる雁のように、前には進めない。危険を冒すことが、「リスク」とラベリングされ、慎重さに鞍替えすることは、「若さ」とは呼ばない。

雁は、前に進むしかない。この〈前進〉のイメージ、未来に飛び込んでいく感じが、「息をゆたかにす」と重なり合っている。

そして、作者は「街坂」にいる。雁がやってくるのは10月頃だから、だいぶ涼しい時期ではあるが、少し息があがるほどの坂なのかもしれない。それ以上の意味、たとえば辛苦や苦難のメタファーとしての「坂」を、そこに読み取ることも当然できるだろう。

ところで、この若き耕二の句につられて、すぐに思い出すのは、〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉という上田五千石の句だ。

こちらは、1968年の句集『田園』にある。同じく晩秋の天を描いた一句だが、こちらはいつしか作者の肉体が「渡り鳥」のほうに乗り移り、地上にいる〈私〉が小さくなっていく。鳥と〈私〉の感覚が循環的に通い合っている。地上は平坦だ。景はひろびろとしている。

対して、耕二の句は「坂」であり、五千石の句に比べれば、それほど広大だというわけではない。耕二の句のほうが「意味」がついていて、そのぶん、「わかりやすい」ということになるのかもしれない。

1933年生まれの五千石は、第8回俳人協会賞を受賞した『田園』を刊行した1968年、35歳だった。このとき、5歳下の耕二は30歳。

実際にはそれほど接点があったふたりとは思えないが(あったら教えてください)、耕二の〈新宿ははるかなる墓碑鳥渡る〉が発表されたのは、「俳句」1979年1月号だった。

だんだん遠くなっていく〈私〉の姿を見下ろしていた五千石の句に対し、耕二の句は高度経済成長期に林立した新宿の高層ビル群を「墓」に見立て、その向こうへ飛んでいく鳥を〈私〉が眺めている。

この句には、「息をゆたかに」するような「若さ」はもう感じられない。耕二がこの世を去るのは、その翌年末、1980年12月4日のことだった。

(堀切克洋)

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