春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩【季語=春闌く(春)】 

春闌けてピアノの前に椅子がない

澤好摩


 一貫性という概念から最も遠いところで私は生きているので、今回は関西という括りを一旦無視したいと思う。

 私が澤好摩をハッキリと意識するようになったきっかけは俳句雑誌『翻車魚』vol.7 軍鶏号で高山れおな氏が書かれた「澤好摩の百句」であった。

 私のアンテナがうまく彼の俳句を受容できたのはひとえに高山氏の懇切丁寧な鑑賞文のおかげと言っても過言では無い。俳句を読むにあたって、漢字が読めなかったり独特の読ませ方や造語がでてきて戸惑ったりすることは僅かではあるがストレスとなり最終的にページをめくる手を止めてしまう障害になりうる。「澤好摩の百句」ではその名の通り澤好摩の作品が百句、収録された句集ごとにまとまって第一句集収録作品から順に並べられているのだが、初読時読み方や韻律のノリ方が少し難しいと感じた句は大抵鑑賞文の方でフリガナとリズム感がきちんと提示されており、本当にストレスなく一気に読み通せた。良き俳句に出会えることと良き鑑賞・解説に出会えることは等しく貴重であると痛感した。

澤好摩(サワ・コウマ)
1944年東京都城東区(現江東区)生まれ。1971年「俳句評論」に参加し、高柳重信に師事。また「俳句研究」の編集に携わる。1978年夏石番矢・林桂らと同人誌「未定」を創刊(1990年退会)。1991年「円錐」創刊、編集発行人を務める。2023年7月7日に旅行先の山形県米沢市での転倒が原因の脳挫傷により死去。

澤好摩と言えば

ピストルを極彩色の天へ撃つ /『印象』所収

この句を私が知ったのはいつだっただろうか。おそらく高校生の頃だったと記憶している。
「極彩色の天」という強いポエジーに圧倒された。
蜷川実花の作品の世界観のような力強い鮮やかさだ。
ピストルの弾けるように拡散するイメージが一色では到底足りない華やかさを空に与えた結果「極彩色」という言葉を選べることを心底羨んだ。

小林恭二の「澤好摩伝」は、(中略)<どう考えたってLSDか何かでぶっとンだ句としか思えない>と述べる。
「澤好摩の百句」より

この衝撃は禍々しくも美しく、この句のシチュエーションでこの「極彩色」を掴みとれることはアーサー王だけが石に突き刺さっているエクスカリバーを引き抜けたようなそれくらい特別で誰なとにできた芸当ではないと私は思っている。

とここまでの書きぶりからわかる通り、初読時私は実景でなくあくまで心象風景として読んでいた。
一般的にこの句は運動会の光景として解釈されることが多い。
私は言われるまで実景とは全く思わなかったが、この句の「ピストル」から殺意やネガティブな感情を見出しにくいため現実的な景を考えると運動会の号砲とするのが最も自然だという解釈には納得している。
万国旗の張り巡らされた運動会のあの空は「極彩色」と書かれることでより華やぎを増し、現実の景と言葉によって表現された句の世界を行き来する度にそのギャップに対する驚嘆も増す一方だ。

とは言え個人的にこの句は現実的な景をどうこうというより、発砲した刹那先ほどまでの空がパッとクラッシュして超自然的な極彩色に塗り替えられるようなそんな爽快な気分を楽しみたいと思っている。

春闌けてピアノの前に椅子がない /『光源』所収

これを書いている2月下旬、最強寒波真っ只中である。
春闌はまだ遠いが、掲句を知って以来春が近づくと思い起こすようになった。
私が澤好摩の句の中で最も偏愛する句である。

木枯しの橋を最後の走者過ぐ/『最後の走者』所収
甕抱きし双掌を解けば翼かな/『印象』所収
葱抜きし男ぴかぴか来たりけり/同上
ものかげの永き授乳や日本海/同上
空たかく殺しわすれし春の鳥/同上
酔後また酔前なりき夏の山/『風影』所収
やがて死ぬ景色に青きみづゑのぐ/同上
百韻に似し百峰や百日紅/『光源』所収
深海に自らひかるものら混む/同上
献杯を怠る勿れと秋は来たか/同上

好きな句は挙げ出すとキリがないのだが、明確に最も好きだと言えるのは掲句だけである。
とにかくシンプルなのだ。
肩の力が他のどの句より抜けていて、それでいてすっと心に住み着いて離れない。

また澤好摩は有季も勿論だが特に無季の秀句が多いように思う。
上記十句中四句が無季である。
無季のまま書き切る胆力を見習いたいと思ううえに、このような書き手だからこそ他の有季の句により深く説得力がある。

掲句は「春闌けて」で一旦軽く切れてフレーズの「ピアノの前に椅子がない」に到る。
さり気ないがいつかどこかで目にしたことがあると感じさせられる気づきだ。
さり気なさすぎてもう誰かが書いているかもしれないとすら思う。
なんて事ないが少し虚無。寂しい。
春光を受けて黒光りするピアノにはもう二度と現れない演奏者を待ちわびる、まるでハチ公のような趣きすらある。
このフレーズを季語「春闌けて」が先駆けることで、春爛漫といういわば華やぎの真っ只中にいて気づいてしまった欠如を、ゆっくり噛み締める、それでも春爛漫であるというミルフィーユのような春のゆらぎと斜陽を思わずにはいられない。

川田果樹


【執筆者プロフィール】
川田果樹(かわた・かき)
2003年生。兵庫県出身。2019年に俳句甲子園をきっかけに句作開始。「麒麟」会員。関西大学俳句会「ふらここ」共同代表。第十八回鬼貫青春俳句大賞受賞。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2025年2月のハイクノミカタ】
〔2月1日〕山眠る海の記憶の石を抱き 吉田祥子
〔2月2日〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
〔2月3日〕約束はいつも待つ側春隣 浅川芳直
〔2月4日〕冬日くれぬ思ひ起こせや岩に牡蛎 萩原朔太郎
〔2月5日〕シリウスを心臓として生まれけり 瀬戸優理子
〔2月6日〕少し動く/春の甍の/動きかな 大岡頌司
〔2月7日〕無人踏切無人が渡り春浅し 和田悟朗
〔2月8日〕立春の佛の耳に見とれたる 伊藤通明
〔2月9日〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
〔2月11日〕追羽子の空の晴れたり曇つたり 長谷川櫂
〔2月12日〕体内にきみが血流る正坐に耐ふ 鈴木しづ子
〔2月13日〕出雲からくる子午線が春の猫 大岡頌司
〔2月14日〕白驟雨桃消えしより核は冴ゆ 赤尾兜子
〔2月15日〕厄介や紅梅の咲き満ちたるは 永田耕衣
〔2月16日〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
〔2月18日〕古本の化けて今川焼愛し 清水崑
〔2月19日〕知恵の輪を解けば二月のすぐ尽きる 村上海斗
〔2月20日〕銀行へまれに来て声出さず済む 林田紀音夫
〔2月21日〕春闌けてピアノの前に椅子がない 澤好摩

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