
先生それは白い雛菊カモミール
金子皆子
(『花恋Ⅰ』)
金子皆子『花恋』を読む【中編】
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金子兜太の妻、金子皆子の生前最後の句集『花恋』を読んでいる。句集はⅠとⅡに分かれた二冊組となっており、前回の【前編】では、『花恋Ⅰ』の中ほどまでを紹介した。
1996年、70歳の頃、皆子は熊谷の総合病院にて悪性腫瘍・癌が発見され右腎全摘出の手術を受ける。手術とその後のインターフェロンによる治療の過程で40歳前後の主治醫、中津裕臣醫師に恋心を抱く。ところが、中津裕臣醫師が千葉県旭市へ転勤になったため、熊谷から四時間かかる旭市の病院へ通うことを決意する。家族の支えもあり、月の半分を旭市の病院に近いホテルサンモールに滞在し診察治療を受けることになった。句集は、闘病生活と恋の想いが同時進行で語られ、合間を縫うように家族のことや風景描写が鮮やかに描かれている。今回も恋の句を中心に紹介してゆきたい。
「花の精」の章は、旭市滞在の日々から始まる。
桃色鷗春膨らんで盛り上がる
春昼の太平洋上光の薔薇
漁港を眺めて過ごしたようだ。桃色鷗には自身の心情を重ねているのであろう。想い人に会える期待で気持ちも膨らんでいる。順調に快復しているものの、痛みを伴う薔薇の体であることに変わりはない。
熊谷に戻ればまた日常が始まる。日常のなかに病と恋の痛みがときおり顔をだす。
春鳥や見えきらぬこと美しき
花期永き紅梅もうすぐに会えます
想い人である主治醫とは電話で話すこともあったらしい。主治醫への想いがつのると詩情の高い句が生まれる。
コール通じて嬉し
一つのコール春月に祈りも一つ
想い重なり春よ光って眠るかな
熱きコールに白梅夜の胸展き
春月光鳥の瞼を思うかな
夫は日常の一つでありながら、雪国へ向かうことを気遣ったり、食事をする姿を面白く描写したり、深い愛情を感じさせる詠みぶりである。
帽嫌う夫は弥生の雪国
春鴉夫は喝々と食する
順調に快復していた薔薇の体にこの頃より異変が見え始める。痛みとともに主治醫への想いが増してゆく。
春一番薔薇の痛みの強き日な
山茱萸の花のカーテン人想う
「水の春」の章は、再び旭市へ向かうところから始まる。
海の道まわり道白い花が咲く
弥生なり薔薇の体に鶸いろを着る
全部着ます弥生の風が流れくる
主治醫を想起させる海と白い花。薔薇の体には、弥生にふさわしい鶸色の服を着る。鶸色とは、明るい黄緑のことで春らしい色である。旭市に滞在する際には沢山の服を持って行ったのであろう。少しでもお洒落をして主治醫に会いたい。そんな弾む気持ちが伝わってくる。
想い人ある幸せに桜待つ
主治醫、旭中央病院に赴任されて、一年の月日が経つ
童女のように泣きし思い出桜かな
追いかけて桜の情まためぐり
春霧の海を知りたし走りたし
真珠いろの空の光を私の薔薇に
遠距離通院も一年が経過し、主治醫への想いもまた一年が過ぎた。主治醫が旭市へ転勤になったことで気付いた深い恋心。その想いは変わらず、春の輝きに包まれているかのようだ。
「木苺の花」の章では、主治醫のご家族との交流も詠まれている。また、熊谷のご近所の方々との交流や結社「海程」同人とのやりとりなど、どんなことも俳句に詠んでいく意欲が見える。そんななかでも恋は忘れない。
桜に追われ夕べの動悸また会えます
雪柳会えるまた会えますと揺れる
病気での動悸なのか恋の動悸なのか。「また会えます」は、自分自身に言い聞かせているかのよう。来年の春もきっと桜にも主治醫にも会いたいし会えると信じたい。
春鴉でけえ声だと夫の呟き
平穏な自宅での日常では、夫の金子兜太を詠んだ句が微笑ましく映る。
「花冷え」の章は、前章に引き続き熊谷の自宅での日々が詠まれている。多少の体調不良はあるものの、癒えてゆく静かな日々である。
静かなり治癒を信ずる芽吹きかな
想い一つを辿れば道に躑躅咲く
ところが、病は静かでも恋の病は春愁へと向かってゆく。
桜散るこの道泣いていいのです
悲しみに凝視している酣の春
桜の花は、民族の記憶として感情を揺さぶるものである。皆子個人の記憶としても悲しい記憶があったのかもしれない。主治醫のことを想って泣いたのも桜の頃であった。
天心に芽吹き進みゆく会いたし
胸苦し夜の緑という独り
芽吹きが天へ進むほどに会いたいという想いがつのる。恋しい気持ちは苦しさに変わり、鬱鬱とした緑の夜には、孤独感にさいなまれるようになる。
わが眠り黄の蝶に似る恋に似る
鬼籍など鬼籍など蝶美しい
睡眠の深浅を黄の蝶のようだと感じ、恋のようだとも感じる。黄色は自身の黄疸を思わせる。やがて、蝶は死を思わせるようになる。蝶の軌道が「鬼籍など鬼籍など」と言っているように見えたのだろうか。不吉なその軌道さえも美しく見えたのだ。
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