
傷つきし蟻いつまでも円描き
森久
森久は1950年、東京都に生まれる。東京大学経済学部在学中、「東大学生俳句会」に所属。1978年、俳句同人誌『未定』創刊同人となる。2004年には『LOTUS』創刊に参画した。
私は、森久の俳句作品に惹かれている。けれどその理由を、まだ十分にことばにできない。
そこで『LOTUS』第31号より、清水愛一氏選による森の作品と、氏の小論を引用してゆきたい。
なお、ここに引く作品群については、私なりに〈学生期〉〈変容期〉と呼び分けて見てゆく。また〈変容期〉の句のうち、『LOTUS』以降の作品と思われるものは、ここでは割愛した。
森久・学生期の作品
蚊遣消え潮騒宿を包みけり
海見ゆる路地に置かれし金魚鉢
傷つきし蟻いつまでも円描き
しぐるゝや和菓子陶器の光沢を
月冴えて乙女硝子に口を触る
地下街の死角に枯葉息凝らす
枯園の血としてインク滴らす
白つつじくわえ蜜吸い拒みおり
突然の光外套の群れを消す
冬の夜の階段毬が降りてゆく
青嵐蝶は紙片と化しにけり
雪一片走り魚群となれり雪
蛇もまた蛇の子雷魚水を跳ね
ダストシュート覗けば彼方星月夜
ガスボンベ逆立つ砂丘風花す
機関銃炎天縫合して止まず即物的な句、文学的なバイアスがかかった句、言語派的な句。守備範囲は、広い。俳句をはじめたばかりの新人の作とは思われない才を感じた。「俳句に愛でられた」才を、である。
大学を四年で退学すると結核を発症し、十か月間、国立中野療養所に入院する。(中略)療養を終えて復学すると、俳句も再開する。二十代後半に差しかかっていた。
病室での沈潜した時間が内省化をもたらしたのであろうか、現実把握が特異になりはじめている。森久・変容期の作品
岩山の記憶も線となる秋よ
街灯は海を感じている耳だ
階段の出会い頭の波頭
迂回して象の足音に濡れる
焚火して人ばらばらや空耳や
虚空より砂を取り出す遊びかな
幽霊は洗濯物の山に棲む
ろうそくを灯し百合から酒場まで
少年老い易く踊り場の嵌め殺し
沈む沈むとカナダの少女苺切る
蠕動の宇宙しばらく用事あり
ががんぼは淡谷のり子に点りけり
海時化てががんぼを出す天袋
廊下にも十字路ありて溺死あり
浴場にひそむ幼児の大頭
昼月や出窓に赤子供える日
昼は道夜は無数の水溜り
蟻を眼を母を銀河を通過する壁
石段を内部と思う猫の列
泉在り表裏一体の刹那密室生活の中で、自らの存在、いや存在することの本質が諧謔にあるのではないか、という見極めが定まったのであろうが、それは同時に、存在の暗部やグロッタな部分へと触手をのばすことでもあった。切実な無意識が見極めたのであろう。写生風の句が消え、メルヘンが消え、ロマンチシズムが消え、諧謔を帯びた言語派傾向の句と存在派傾向の句がその姿をくっきりと浮きあがらせた。
『LOTUS』第31号・清水愛一氏による特別寄稿『ねむりを奪う』―流ひさし小論(下)より部分引用
学生時代の才気あふれる作風に比べると、変容期の句にはどこか身のあやうさ、やりきれなさが滲み出している。
己の内側へと降りていったようでもあるし、そこで支えを得たのかもしれない。
しかし、私がほんとうに惹かれていたものは、また別の場所にある気がしているのだ。
(次回へつづく)
引用・参照文献
俳句同人誌『LOTUS』第31号、第33号
(いなば也)
【執筆者プロフィール】
いなば也(いなば・なり)
短詩、俳句
楽園俳句会会員
X:@poet_Shijyu
note:https://note.com/from40_letters
mail:inabanary@gmail.com