七十や釣瓶落しの離婚沙汰 文挾夫佐恵【季語=釣瓶落し(秋)】

七十や釣瓶落しの離婚沙汰

文挾夫佐恵
(『流寓抄』)

平成17年の頃「熟年離婚」というドラマがあった。団塊世代の大量定年問題を踏まえ、夫婦のあり方を扱ったとのこと。高視聴率を獲得し「熟年離婚」は流行語ともなった。だが、その十数年前にワイドショウが40年近く連れ添った夫と離婚したいという妻を取材し話題となった。子供も独立し夫の両親の介護も終え、年老いた妻は70歳間際の夫に離婚届を突きつける。夫は激怒し妻に暴力を振るったという。そのワイドショウにより、離婚した際に妻は夫の年金も含めた財産分与を受け取れることが世に知られることとなった。夫の扶養のもとで生きていた妻が離婚しても分与財産で暮らしていけるという希望の道筋が明らかになったのだ(夫の年収にもよるが)。

 昭和の夫婦の考え方としては40年連れ添えば、晩年も死して後の世もずっと一緒と考えるのが普通であった。40年一緒にいた夫婦が離婚しても、新しい未来は生まれないだろうと思われていた。離婚を申し立てた妻の言い分は「父の言いつけで見合いをし、結婚した。好きになれなかったが父の意向に背く事が出来ず婚姻生活を続けた。子育ても介護も終わり安心した途端、体調を崩した。夫は定年退職後、一日中家に居り、妻が高熱を出していても食事の支度を強要し、手抜きをすると暴力を振るった」とのこと。それは、離婚して良いでしょ。だが夫の言い分は「今まで俺が働いて食わせてやったのに、離婚したいとは不遜だ」とのこと。夫としては、妻子に裕福な生活をさせるために、上司に怒られ、嫌な接待をし、時には部下に裏切られ、死ぬ思いで馬車馬のように働き続けたのだ。豊富な退職金と年金は自分の長く辛い年月への褒美でもあったのだろう。定年退職後は、妻子に労をねぎらわれつつ趣味に没頭する予定であったのだ。

 昭和の男は、プライドが高く無口であった。会社での苦労も話せず、妻に対しても気の利いたセリフさえ言えない不器用さがあった。シャイな上にプライドが高いとは、現代だったら結婚さえできないであろう。糟糠の妻に一言でも感謝の気持ちを述べられていたら、離婚にはならなかったに違いない。妻もまた、そんな不器用な夫を理解できていなかったのかもしれない。お互いコミュニケーション不足だった。※あくまでも世間の一例です。

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