雨だれといふあかときの春のおと
子が泳ぎ切りしプールの碧さかな
青田どこまでも見えどこまでも雨
大杉の真下を通る帰省かな
ひぐらしの山を四方に洗ひ鍬
田草取る真昼ひとりの音のなか
身の中を日暮が通る西行忌
春惜しめよと切株の二つ三つ (『春野』)
火の見よりホースが垂れて十二月
馬の眼のかくもしづかに草いきれ
年の火に今生の身のうらおもて (『村道』)
ただに汗かいて不肖の弟子なりし 安住敦先生逝去
さはやかに吹かれて曲る牛の尿
艶聞の一つぐらゐは烏瓜
墓洗ふついでの恨みつらみかな
ひたすらにそよいでゐたり余り苗
仏飯に湯気のひとすぢ今朝の秋
春炬燵みんな出かけてしまひけり(『朴ひらくころ』)
日脚伸ぶ木地師の膝の木つ端屑
跳び越えてごらんと春の小川かな
海見えてきし遠足の乱れかな
音すべて谺となれり山始
ひよどりのいちにち騒ぐ七五三
寒柝のつぎの一打の遥かなる
啓蟄の土をほろほろ野面積
まつしろなごはん八月十五日
投了の駒の涼しき音なりけり
寒鯉のたまりかねたる水しぶき
踏切を待つ間も揉んで樽神輿 (『野面積』)
朴の木に朴の花泛く月夜かな
夏料理水かげろふを天井に
ひたすらに夜をきらめく屑金魚
毛糸編むあたたかさうな顔をして
さへづりへ開く柩の小窓かな
春障子すこし開きたるまま暮るる
ふんはりと峠をのせて春の村
滝壺の中から滝の立ち上がる
誰もゐぬ焚火がひとつ葬のあと
いのちなが白い障子に囲まれて
蛍火のひとつ遥かをこころざす
打水の上ていねいに通りけり
田を抜ける二百二十日の水の音
冬を待つみんなやさしい眼となつて (『畦の木』)
軒といふ燕の置いてゆきしもの
雪くるぞ来るぞくるぞと火が真つ赤
夕焚火誰かを待つてゐるやうに
軒下をきれいに掃いて燕待つ
仏壇にしばらくありし冬至の日
雪の夜は遠いむかしを語らうよ
どの家も暖かさうに灯りけり
桐いつも遠いところに咲いてをり
薪で炊く飯ふつくらと文化の日 (『煤柱』)
にぎやかに煙を上げて春の村
水打つて一番星をまたたかす
老いゆくか葱のにほひの息吐いて
寒柝の音のいつしか夢の中
晩年の今かなかなの声の中 (『春の村』)
八方へ轍を放ち春の村
ぬかるみを四方に広げて農具市
蕗の葉の揺れてそれから雨の音
春がきて日暮が好きになりにけり (『春がきて』)
うれしくてたまらぬやうに初つばめ「春野」令和三年三月
黛執の俳句工房の函南の丹奈盆地・田代盆地に立つと、そのエキスである人と自然の共存が身に染みて実感できる。又普遍性の極致としての完璧な俳句は、先ず上手くならなくてはならないとの執の言葉は重い。 (書き下ろし)
【祝!第20回日本詩歌句随筆評論大賞(評論部門)優秀賞を受賞!】
広渡敬雄さんの『全国・俳枕の旅62選』が東京四季出版より満を辞しての刊行!
「青垣」「たかんな」、そして「セクト・ポクリット」での好評連載を書籍化!
全国各地の「俳枕」を豊富な写真と俳句、解説と共にお届けします。
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』『風紋』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会評議員。日本文藝家協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)、『全国・俳枕の旅62選』(東京四季出版)。2024年、日本詩歌句協会評論部門優秀賞、千葉県俳句大賞。
<バックナンバー一覧>
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【第74回】ニューヨークと鷹羽狩行
【第73回】湖西マキノ町在原と大石悦子
【第72回】松山・石手寺と篠原梵
【第71回】志摩と友岡子郷
【第70回】浅草と久保田万太郎
【第69回】東吉野村と三橋敏雄
【第68回】 那須野ヶ原と黒田杏子
【番外―5】北九州市・八幡と山口誓子
【第67回】 伊賀上野と橋本鶏二
【第66回】秩父・長瀞と馬場移公子
【番外―4】 奥武蔵・山毛欅峠と石田波郷
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【第61回】石鎚山と石田波郷
【第60回】貴船と波多野爽波