毎月第1日曜日は、歌人・服部崇さんによる「新しい短歌をさがして」。アメリカ、フランス、京都そして台湾へと動きつづける崇さん。日本国内だけではなく、既存の形式にとらわれない世界各地の短歌に思いを馳せてゆく時評/エッセイです。
【第31回】
選択と差異――久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024)
久永草太『命の部首』(本阿弥書店、2024)を読んだ。俵万智が栞の中で「でも、人間の行動って、常に理屈で割り切れるもんじゃないですよね」(栞、16ページ)と独白しているように、久永には理屈が勝るところがあるように思えたが、私はそこにこそ惹かれた。
呼び捨てにされてあなたをはたと見るここか私の分水嶺は
あなたは私の名前をはじめて呼び捨てにして呼んだ。さん付けや君付けではなく。これまでよりもあなたは私との距離をずっと詰めてきている。これに対して私はどのような反応をすべきなのか。自らの選択を思う。(A)新しい距離を受け入れる、(B)新しい距離を拒否する。実際にはその選択は一瞬のうちに行われたことだろう。私はとても冷静である。
治す牛は北に、解剖する牛は南に繋がれている中庭
獣医学部のある大学の中庭の牛たちは二つの区画に分けられている。(A)治す牛、(B)解剖する牛。どの区画にいるかによって牛の将来が決められている。私は(A)と(B)の牛を見比べている。私はとても冷静である。
「ここは海」そしてたちまち海となるもも組さんの部屋の全域
「海」と宣言することによって、(A)「部屋」は(B)「海」に一気に切り替わる。天地創造。幼稚園における全能者は誰であろうか。「ここは海」の発語者は幼稚園の先生だろうか、それとも幼稚園児だろうか。あとがきによると久永は学生時代に幼稚園の手伝いをしていたようだ。
はじめての会話交わせる学生はクーンとコーンの間の名を持つ
ベトナムを訪問した際の一首。(A)クーン、(B)コーンのどちらかに判別したいがどちらとも言いがたい宙づりの状態にある。ベトナム人の苗字にクオン(Cường)(漢字では「強」)があるが、これのことだろうか。
ミミナグサとオランダミミナグサの差異まえ訊いたけどもう一度訊く
(A)ミミナグサと(B)オランダミミナグサの区別の仕方について。(A)は日本在来種、(B)はヨーロッパ原産。花弁の長さなどが異なるようだ。久永は二つの物の差異に興味をひかれている。(A)と(B)と差異に敏感である。
殺生と命の定義ぼんやりと出立てにフキの煮物食みつつ
殺生とは生き物を殺すこと。命の定義を考えることは(A)生と(B)死の区別を考えることである。文学の根本問題に立ち向かっている。ただし、ぼんやりと、出立てに、フキの煮物を食べながら。
ベッド下のスペーススペースここだって宇宙の一部を収納にする
ベッドの下のスペースは収納スペースに使える。スペース(space)の定義には(A)空間、場所などに加え、(B)宇宙がある。ベッドの下の狭い空間から意識は一気に宇宙全体に広がる。そして、また宇宙の一部として収納スペースに収まる。
倒木にきのこは生える倒木に若木も生える そして目覚める
倒木に生えるものとしては、(A)きのこ、(B)若木がある。
Fight or Flight戦ぐ草原で声を出すなら腹の底から
久永はここでも差異に着目する。英単語の(A)Fightと(B)Flightの差異は「l」の有無である。ルビに使用されている(A)闘争と(B)逃走は異なる漢字であるが読み(とうそう)は同じである。
ら抜きにて命懸けれるなどという人に割られてゆく落花生
久永は「ら抜き」言葉に関心を寄せる。(A)「ら」がある、(B)「ら」がない。ら抜き言葉である「懸けれる」は正しくは「懸けられる」だという思いがあるのだろう。下句では「割られてゆく」、「落花生(らっかせい)」と(A)「ら」がある言葉を並べている。 以上、十首ほど選んでみた。(A)と(B)の間で選択を試みる。(A)と(B)の差異にこだわる。そんな久永の一面が彼の作品に憂いを与えている。
第34回歌壇賞受賞作家の第1歌集。
帯・伊藤一彦 栞・吉川宏志・石井大成・俵万智。
久永草太『命の部首』
本阿弥書店、2024年
ISBN978-4-7768-1694-2
173ページ ¥ 2,200
【執筆者プロフィール】
服部崇(はっとり・たかし)
「心の花」所属。居場所が定まらず、あちこちをふらふらしている。パリに住んでいたときには「パリ短歌クラブ」を発足させた。その後、東京、京都と居を移しつつも、2020年まで「パリ短歌」の編集を続けた。歌集『ドードー鳥の骨――巴里歌篇』(2017、ながらみ書房)、第二歌集『新しい生活様式』(2022、ながらみ書房)。X:@TakashiHattori0
【「新しい短歌をさがして」バックナンバー】
【30】ルビの振り方について
【29】西行「宮河歌合」と短歌甲子園
【28】シュルレアリスムを振り返る
【27】鯉の歌──黒木三千代『草の譜』より
【26】西行のエストニア語訳をめぐって
【25】古典和歌の繁体字・中国語訳─台湾における初の繁体字・中国語訳『萬葉集』
【24】連作を読む-石原美智子『心のボタン』(ながらみ書房、2024)の「引揚列車」
【23】「越境する西行」について
【22】台湾短歌大賞と三原由起子『土地に呼ばれる』(本阿弥書店、2022)
【21】正字、繁体字、簡体字について──佐藤博之『殘照の港』(2024、ながらみ書房)
【20】菅原百合絵『たましひの薄衣』再読──技法について──
【19】渡辺幸一『プロパガンダ史』を読む
【18】台湾の学生たちによる短歌作品
【17】下村海南の見た台湾の風景──下村宏『芭蕉の葉陰』(聚英閣、1921)
【16】青と白と赤と──大塚亜希『くうそくぜしき』(ながらみ書房、2023)
【15】台湾の歳時記
【14】「フランス短歌」と「台湾歌壇」
【13】台湾の学生たちに短歌を語る
【12】旅のうた──『本田稜歌集』(現代短歌文庫、砂子屋書房、2023)
【11】歌集と初出誌における連作の異同──菅原百合絵『たましひの薄衣』(2023、書肆侃侃房)
【10】晩鐘──「『晩鐘』に心寄せて」(致良出版社(台北市)、2021)
【9】多言語歌集の試み──紺野万里『雪 yuki Snow Sniegs C H eг』(Orbita社, Latvia, 2021)
【8】理性と短歌──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)(2)
【7】新短歌の歴史を覗く──中野嘉一 『新短歌の歴史』(昭森社、1967)
【6】台湾の「日本語人」による短歌──孤蓬万里編著『台湾万葉集』(集英社、1994)
【5】配置の塩梅──武藤義哉『春の幾何学』(ながらみ書房、2022)
【4】海外滞在のもたらす力──大森悦子『青日溜まり』(本阿弥書店、2022)
【3】カリフォルニアの雨──青木泰子『幸いなるかな』(ながらみ書房、2022)
【2】蜃気楼──雁部貞夫『わがヒマラヤ』(青磁社、2019)
【1】新しい短歌をさがして
挑発する知の第二歌集!
「栞」より
世界との接し方で言うと、没入し切らず、どこか醒めている。かといって冷笑的ではない。謎を含んだ孤独で内省的な知の手触りがある。 -谷岡亜紀
「新しい生活様式」が、服部さんを媒介として、短歌という詩型にどのように作用するのか注目したい。 -河野美砂子
服部の目が、観察する眼以上の、ユーモアや批評を含んだ挑発的なものであることが窺える。 -島田幸典
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】