わが子宮めくや枯野のヘリポート
柴田千晶
(『赤き毛皮』)
作者の柴田千晶氏は、昭和35年生まれ。詩人としても知られる。平成12年に出版した『空室 1991-2000』は、東電OL殺人事件をモデルにした連作詩篇である。東電OL殺人事件とは、平成9年に渋谷区円山町にあるアパートの空室で東京電力株式会社本店に勤務する女性(当時39歳)の他殺遺体が発見された事件のこと。被害女性は、慶應義塾大学経済学部を卒業後、東京電力に初の女性総合職として入社したエリート社員。その一方で、退勤後は円山町付近の路上で客を勧誘し売春を行っていたという。1日4人の客をとることを自己のノルマとし、派遣型風俗店にも登録していた。当時の女性としては高収入であった優秀なOLがなぜ売春をしていたのか。自律神経失調症の可能性が指摘されている。また、犯人として逮捕された売春相手の一人であるネパール人は、15年後に無罪が確定し、冤罪事件としても名高い。真犯人は未だに不明の未解決事件である。
『空室 1991-2000』の8年後には、藤原龍一郎氏の短歌と現代詩のコラボレーション企画『セラフィタ氏』を出版。「BOOK」データベースの内容紹介の文は、「セラフィタと名乗る男と私の妄想の都市に上る欲情の月。藤原龍一郎の短歌と交錯しつつ紡ぎだす派遣OLの愛と性の不条理」である。現実と虚構が交差する物語的な構成で、ざわざわとした感触を残す。東電OL殺人事件から連想した内容でもあり、都会暮らしの女性の孤独と虚無感が退廃的な性表現により強烈に描かれている。
私が柴田千晶氏を知ったのは、平成22年『超新撰21』 (邑書林)の出版シンポジウムの時である。50歳以下の若手俳人21人の100句を収めたアンソロジーで私も参加している。柴田氏の大胆な性愛を詠んだ句は注目を集めた。イメージ通りの華やかさを放ちつつも落ち着いた雰囲気の大人の女性であったと記憶している。その2年ほど前に出版された句集『赤き毛皮』(金雀枝舎)は、『超新撰21』の影響で話題となった。今井聖主宰の俳句結社「街」には、平成9年に入会。現代詩と俳句を詠む一方で映画脚本や漫画原作も執筆している。
句集『赤き毛皮』は六章の構成で、性をテーマにした「軀」から始まり、「横須賀」「煙の父」では、生まれ育った横須賀や母のこと、父の介護と死のことが描かれる。「死霊」「派遣OL東京漂流」「赤き毛皮」では、死者との交流、OL生活、地下鉄サリン事件や東電OL殺人事件にまつわる句が収められている。「「性」を主題に「人間」を描きたいと思っている。」と述べる作者の作品は、どうしても性を詠んだ句に目が向いてしまう。
昼蛙乳房さびしき熱を帯ぶ
夜の梅鋏のごとくひらく足
昼の蛙の鳴き声はひそやかで乳房の疼きを呼ぶ。抑えようのない女性の性欲は、逢えない淋しさから生まれる。夜になれば大胆に開く足は、硬い梅の枝を伐る鋏のよう。梅の花の白さが精液を思わせる。
単純な穴になりたし曼珠沙華
快楽はオートマティック紫荊
男性を受け入れる穴は女性の足らざる部分であり、その穴を埋めることで満たされる。だけれども単純ではない。曼珠沙華のような情念がつきまとう。時には、入れられれば快楽が発生することもある。拒否したくてもできない思い通りにならない肉体を持て余す。毒々しいほど濃いピンク色の花を咲かせるハナズオウの中国名「紫荊」の表記を用いたのは。罪の意識であろうか。
闇汁の魔羅女陰(ほと)乳房喉仏
まはされて銀漢となる軀かな
闇汁は、食べられるものを入れるのが鉄則であるが、時には鍋には合わないバナナや饅頭が投げ込まれる。当然ながら魚のアラも入れられる。闇の中に、魔羅や女陰を思わせる何かが浮いていたのだ。人間の雄と雌を象徴する部分を並べたところが面白い。性行為もまた闇汁のよう。複数の男性との乱交かレイプか、〈まはされ〉て銀漢になる〈軀〉は、宇宙のようであり全てをのみ込んでゆく。
円山町に飛雪私はモンスター
全人類を罵倒し赤き毛皮行く
現代風俗も事件も詠む作者。東電OL殺人事件をモデルにした〈円山町〉の句は、飛雪の中、ホテル街に立ち客待ちをしている女性を詠んでいる。この句については『超新撰21』の松本てふこ氏の鑑賞が素晴らしい。精液のような飛雪にまみれた女性は、人ではなくモンスターとなり男性を探し求めるのだ。男女雇用機会均等法が発布され十数年が過ぎても男女差別が残る社会。人類を罵倒する代わりに男性を性で支配してゆく。血を思わせる〈赤き毛皮〉を纏った女性はまさにモンスターだ。
わが子宮めくや枯野のヘリポート 柴田千晶
『古事記』神話の国産みの場面でイザナギはイザナミに「吾が身の成り余れる処を以て、汝が身の成り合はぬ処に刺し塞ぎて、国土生み成さむ」と提案する。男神の身体の余っている部分を女神の身体の足りない部分に刺し塞ぎ、交接しようとしたのだ。つまり、女性とは神話の時代から未完成の足りない部分があり、それを男性の余った部分で塞ぐ行為により、子を産むという役割を与えられてきた。「成り合はぬ処」とは、女陰だけではない。
枯野のなかのヘリポートは、そこだけ空白部分となる。子供を宿すことのない子宮もまた、体内の空白に過ぎない。本来は生殖のためにする性行為が、人間として生まれたが故に情欲が発生し、さらには刹那の快楽のためだけに行うようになる。子宮は、生理や排卵の機能を持つだけでなく、女性ホルモンを分泌する。抑えがたい性欲もまた子宮の仕業とも言える。
からつぽの子宮明るし水母踏む
スクリューのごとき男根枯野星
子宮を持つ虚しさと母親になることのない自由な明るさが、ぐにゃぐにゃしたクラゲを踏んでゆく。娘にとって母は最大の理解者であると同時に疎ましい存在でもある。私はあなたの分身でもなければ、あなたの望むような良妻賢母にもなれない。そんな気持ちが水の母であるクラゲを踏んだのだ。水母もまた、空洞を持ちその中は明るい。女性が生まれながらにして持っている喪失感、男性より劣る足らざる虚無感が〈からつぽの子宮〉で表現されている。身体にねじ込まれる男根はスクリューのようであり、時には痛みがともなう。だけれども虚無の肉体には、枯野に浮かぶ星ぐらいの存在だ。追い求める痛みと快楽、身体を削られるような思い。男根は、星のような強い光と希望を発しつつも、荒涼とした枯野を照らせない。
枯野を吹き荒し降りてくるヘリコプターは、男性の肉体なのだろう。ヘリポートの空白が巨大な鳥とも虫とも似ているヘリコプターを着地させ包み込む。子宮をかき回すヘリコプターは、自分自身を狂わせ、空白を満たしつつも淋しさを増やす。
枯野のヘリポートは、いつもヘリコプターを待ち続けている。年齢とともに衰えてゆく肉体は野であり、枯野になってもなお、子宮は男性を求める。どんなに埋めても埋めても消すことのできない虚無を抱えつつ。
(篠崎央子)
【篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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