寒木が枝打ち鳴らす犬の恋 西東三鬼【季語=寒木(冬)】


寒木が枝打ち鳴らす犬の恋

西東三鬼
(『変身』)


 猫の恋は春の季語なのに犬の恋は季語にはならない。何故なら犬の発情期は季節を問わず年に1~2回ほどあるからである。昭和の頃であるが、私の故郷の村は犬の放し飼いが普通であった。また野良犬も多く、飼い犬か野良犬かの区別は、首輪と首輪に提げている予防接済みの札で判断されていた。外で犬を飼う村人の家には、餌を求めて野良犬が集まる。本家の祖母は、飼っている犬、分家である私の家で飼っている犬、そして野良犬にも餌を与えていた。時には、畑に捨てられていた子犬を拾ってきては、近隣の村人に里親となるよう斡旋をしていた。祖母は、話し上手聞き上手で、農作業をする村の女性達に茶菓子を振る舞う人気者であった。畑仕事の休憩時間には、祖母の住む隠居屋に沢山の女性達が集まり、家庭の悩みを語り合った。都会でいえばサロンだが、高尚な話はしないので、農婦コミュニティーのような空間だったのだろう。お茶を飲みながら、祖母が餌を与えている野良犬と戯れているうちに、気に入った犬を持ち帰る女性も沢山いた。実は、私が拾ってきた子犬もまた祖母の農婦コミュニティーの中で貰われていった。現代でいえば、保護犬カフェのような役割を果たしていたのかも。昭和の頃なので保護犬は、去勢も予防接種もしてはいなかったのだが。

 祖母が飼っていた雑種の雌犬は、レミという名の美しい白犬であった。そのレミが発情期に入るとどこからともなく雄犬どもが集まってくる。沢山の雄犬を引き連れ畦道を闊歩するレミは、子供ながらに格好良く見えた。雄犬同士が喧嘩を始めると、審査員のように座り込んで、格闘の行く末を見守るレミ。「喧嘩はやめて」などとは言わない。

 あるとき、私の実家の飼い犬であるチャロがクロと喧嘩を始めた。対戦相手のクロは野良犬であったが痩せマッチョで垂れている耳が愛らしい。私にも懐いていた。チャロは、雑種のロン毛の茶色の犬。体格差は同じぐらいであったが、クロが優勢となる。チャロを応援したい私は、チャロに覆い被さっているクロの腹に団栗を投げた。その瞬間、チャロが優勢となった。チャロの攻撃を何とか交わしたクロは、何故か私の幼い尻に噛みついた。するとチャロが怒り狂ってクロを猛攻撃し、チャロが勝利を納めた。祖母は、尻を噛まれた私を心配したが「チャロを勝たせたかったのなら、団栗ではなく竹刀でクロを叩くべきであった」とのアドバイス。祖母の犬愛が分かるようで分からない。

 結局レミは、勝利したチャロではなくクロを選んだ。チャロは失恋し、1週間犬小屋に引き籠もり餌も食べなかった。犬も失恋すると落ち込むのだ。

 またある時、コリー犬に似たイケメン野良犬のコリーが祖母の保護下に入った。チャロを慕い、チャロも何かと可愛がっている様子であった。ところが、レミが発情期になると、チャロとコリーは闘うこととなる。体格的にはチャロが優勢であったがコリーも負けてはいない。その当時、本家にはアロエが生えていた。火傷に良いとかの理由であったが、私はあの匂いが嫌いであった。やや劣勢になったチャロを救うためにコリーの鼻にもぎ取ったアロエの果肉を押しつけると、コリーは苦い顔をして形勢逆転となりチャロが勝利を納める(※良い子は真似をしてはいけません)。だが、レミが選んだ雄犬はコリーであった。

 チャロは、陽に透けると赤みを帯びる毛並みが美しく鼻も高く、強い犬である。たまたま現場にいた私が手助けをしたが、普段は私が小学校に通っている間に沢山の犬たちを制圧してきたボス犬である。だが、強い犬が恋を得るとは限らない。

 レミは、飼い犬で裕福な生活をしているチャロよりも野性的な一面を持つ野良犬を選んだのかもしれないし、ルックスの良いダメ犬が好みだったのかもしれない。レミの気持ちはどこかで分かるのである。何の後ろ盾もなく孤独に闘っている雄に惹かれてしまう感情は、人間の女性にもある。勝者よりも敗者が美しく見えてしまう判官贔屓なところがレミにはあったのだろう。チャロと同じく飼い犬として裕福な生活を送っているレミには、負けた野良犬が魅力的な雄に見えたのだ。昔から「色男金と力はなかりけり」というが、レミは面食いだったということにしておこう。チャロは金も力もある一途なイケメンだったのに…。

  寒木が枝打ち鳴らす犬の恋  西東三鬼

 葉を落ち尽くし、己の肉体を露わとする寒木。強風が枝をぶつかり合わせ音をたてる。それは、痩せた野良犬同士の闘いを思わせる。普段は、生きるための餌を求め歩き、群れをなし、リーダーに従う体育会系的な犬の世界。だが恋が始まれば、みな平等となり下克上のチャンスでもある。どんなに貧しくとも子孫を残さなければならないという獣の本能。人間のように、経済的なことは考えないのである。だがこれは、最も原初的な恋のあり方である。

 人間の女性は恋をするとき、ルックスだけでなく相手の家柄や経済力、性格などを重視する。より良い遺伝子を残し、優秀な子供を育てるためには必要な判断力である。だけれども、経済力が無くても人格的に問題があっても、自分の生き方を持っている男性に惹かれることはある。貧乏でも良いではないか。一緒に生き抜いて行く力があれば。

 雄犬の発情期の闘いは、本来、一匹の雌犬を巡って行われるトーナメント式の闘いである。優勝した強い雄が選ばれる弱肉強食の世界だ。発情期以外は、群れで狩りをし、獲物を捕まえられる強い犬がリーダーとなる。どこかで人間社会と通じるものがある。

 「弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく」と歌ったのはTHE BLUE HEARTS(「TRAIN-TRAIN」)だが、現代の世も人間は、どこかで獣の道を歩んでいる。弱い者が自分よりも弱い者をたたき、リーダーのような気持ちになり、しのぎを削っているのだ。

 一方で尾崎豊の「シェリー」では「俺は負け犬なんかじゃないから俺は真実へと歩いて行く」と歌っている。自分の弱い一面をさらけ出しながらも闘っているそんな歌詞だ。負け犬ではないけれども、この世のあり方に絶望し、足掻き苦しみながら生きている。この歌は、今でも若い女性の支持を得ている。

 雄犬の闘いはいつも孤独だ。その闘いはどこか乾いた音がする。痩せ犬同士が闘って、その先に何が生まれるというのだろう。痩せ犬が痩せ犬を産み、ひたすら闘いが続く。人間の世界もまた、そうなのだろう。だが、人間に飼われ、人間の弱さを知っているレミのような救世主の雌犬も存在するのだ。頑張って負けたのなら、その傷を癒やしてあげたいものである。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。



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