誰かまた銀河に溺るる一悲鳴
河原枇杷男
(『蝶座』)
銀河は、織姫と彦星の間に横たわる星の逢瀬の川である。3年前、8月の終わりに長野県の鹿教湯温泉にて見た天の川は、くっきりと川の形状をしており、流れ星も交差して幻想的であった。
川端康成の『雪国』のクライマックスには、天の川の描写がある。「裸の天の河は夜の大地を素肌で巻かうとして、直ぐそこに降りて来てゐる。恐ろしい艶めかしさだ。」
天の川を女身として捉え、大地だけでなく自身までもがのみ込まれてしまうかのように描く。冷静な主人公島村とは対照的な駒子の激しさを雪原の天の川を舞台に映像的に展開する場面である。
『雪国』に限らず、小説に登場する男は、優柔不断な場合が多く、女の激しさに翻弄される。女は、男というものに自ら進んで飛び込んでゆくが、男は常に躊躇する。男は、他の女にも目移りするが、女の愛は、川の流れのように一途である。気が付くと男は、女の愛に巻き付かれ身動きできない状態となる。普遍的な小説の話形でもあり、現実でもある。
今年の6月、桜桃忌に太宰治の墓を参った後、玉川上水を歩いた。太宰もまた、女という川に溺れた人であった。太宰と玉川上水に飛び込んだ山崎富栄は、愛人として献身的に尽くした人である。入水現場の土手には太宰が抵抗したような痕跡があったことなどから、無理心中だった可能性も指摘されている。
山崎富栄は、太宰から「死ぬ気で恋愛してみないか」と口説かれ、その言葉を信じてしまった純粋な女だ。一方で嫉妬深く、太宰を軟禁状態にしたり、太田静子(『斜陽』の主人公のモデルで太宰の娘太田治子を産んでいる)に心中をほのめかす手紙を送ったりしている。
太宰もまさか、ここまで愛されるとは思っていなかったのではないだろうか。1998年、50回忌を前にして遺族が公開した太宰の遺書には、妻美知子宛に「誰よりも愛してゐました」と書かれていた。女からすると許せない男であるが、羊水に包まれて眠る胎児のように、女という川に浸っていたかっただけの男だったのであろう。
誰かまた銀河に溺るる一悲鳴 河原枇杷男
彦星が織姫に逢いに行く途中で天の川に溺れてしまったかのようなユーモラスさを感じてしまう一句。〈銀〉の字に銀座の女を思ってしまうのは、星を隠してしまう銀座のネオンが、天の川のように見えた私自身の記憶からであろうか。男としては、ただ人恋しくて口説いた女。本気ではなかったかもしれない。相手の女もまた自分という川に、男を泳がせて通過させるような雰囲気があったのであろう。気が付けば、女の愛憎の濁流に呑み込まれ、悲鳴をあげているのだ。優柔不断な男ほど溺れやすい。どんな小さな川も涙が溜まれば洪水を引き起こすのだから。
(篠崎央子)
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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
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