水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補【季語=水蜘蛛(夏)】

水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな

未補

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梅雨が明け、暑さが厳しさをぐっと増してきた。日中は、釜の中で煮られているような熱気である。そんな暑さを一瞬忘れさせてくれる景を、目が知らず知らずのうちに求めてしまう。例えば、この句のように。

水蜘蛛を孕むまぶしい仮眠かな 未補

水蜘蛛は水馬(あめんぼ)のこと。ついついと水面を滑るその姿に水の輝きがオーバーラップして、まぶしい仮眠へと読みを導いてくれる。

ただ「あめんぼ」と言ったのではこの句の雰囲気は出なかったろう。どこか不穏で異物的な語感のある水蜘蛛。それを身中に孕むという、ごろっとした不気味さ。それに比して、短い眠りに伴う、どこか非現実的なまばゆさ。これらが混然となって、網膜が光を感じる刹那に、きらめく生命感が身体の内側から湧き上がってくる様を思わせる。

意識の沈み込んでいく仮眠に不思議な開放感が与えられているのは、中七下五のa音で揃えられた語頭の韻の効果だろうか。捉えどころのないしこりのような身体感覚を見逃さず、詩的に昇華している。

掲句は、第六回芝不器男俳句新人賞応募作100句(一次選考通過作品)より。同じ応募作中にも、鋭敏な身体感覚を俳句へと研ぎあげた作品が光を放っている。

時の日のながい背骨に水を遣る 未補(以下同)

引鶴を仕舞うまぶたの満ち引きに

陰部の羽音が夜桜を蝕む

あるいは、ことばの脱臼、主客の混乱、それと美しい屈託によって、深い陰翳がもたらされている作品も見逃せない。どれも容易な解釈をゆるさず、それによって独創的な魅力が湛えられている。

かりがねを書き置き白き火口かな

寒月が通路を垂らす

濡れにゆく小蟹は影を閉ざしけり

かもめに雨 ぬりえのようにせまい雨

こうしてみると、レトリックの点で工夫が凝らされているというよりも、あやうげな感覚の一線でことばが連ねられ、それが詩として結晶しているように思える。

雁の残像、寒月の光の筋、小蟹のわだかまり、雨の閉塞……。

どこか一篇のみじかい寓話のようでもある。ことばの摩擦に、こちらの感性が揺さぶりをかけられる。にも関わらず、鋭い切り傷のように肌へするりと入り込んでくる。

読後にしこりのような「わからない」部分は残るが、そこに不思議な心地良さを感じるのだ。治りかけの盛り上がったかさぶたを、指の腹で何度もなぞってしまう、あの妙な気分に似ている。

水蜘蛛を孕むように、心に残ったしこりをそのまま認め、慈しむ。「わからない」ことを手放さずに、それと向き合い、問いを繰り返す。そうした営みによって、いっそう詩が輝く。

そんな言い知れぬ愉しさが滲み出てくる、稀有な作品であると思う。

楠本奇蹄


【執筆者プロフィール】
楠本 奇蹄(くすもと きてい)
豆の木など参加。第11回百年俳句賞最優秀賞、第41回兜太現代俳句新人賞。句集『おしやべり』(マルコボ.コム,2022)、『グッドタイム』(現代俳句協会,2025)。
Twitter:@Kitei_Kusumoto
bluesky:@kitei-kusu.bsky.social
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https://100hyakunen.thebase.in/items/109144894



【2025年7月のハイクノミカタ】
〔7月1日〕どこまでもこの世なりけり舟遊び 川崎雅子
〔7月2日〕全員サングラス全員初対面 西生ゆかり
〔7月3日〕合歓の花ゆふぐれ僕が僕を泣かす 若林哲哉
〔7月4日〕明日のなきかに短夜を使ひけり 田畑美穂女
〔7月5日〕はらはらと水ふり落とし滝聳ゆ 桐山太志
〔7月6日〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
〔7月7日〕遠縁のをんなのやうな草いきれ 長谷川双魚
〔7月8日〕夏の風子の手吊環にとどきたる 大井雅人
〔7月9日〕かたつむり会社黙つて休みけり 加藤静夫
〔7月10日〕章魚濁るむかしむかしの傷のいろ 瀬間陽子
〔7月11日〕ゆかた着のとけたる帯を持ちしまま 飯田蛇笏
〔7月12日〕手のひらにまだ海匂ふ昼寝覚 阿部優子
〔7月13日〕おやすみ
〔7月14日〕彼とあう日まで香水つけっぱなし 鎌倉佐弓
〔7月15日〕子午線の町の風波梅雨に入る 友岡子郷
〔7月16日〕夏夕べ撫でつつ洗ふ母の足 柴田佐知子

【2025年6月のハイクノミカタ】
〔6月3日〕汽水域ゆふなぎに私語ゆづりあひ 楠本奇蹄
〔6月4日〕香水の中よりとどめさす言葉 檜紀代
〔6月5日〕蛇は全長以外なにももたない 中内火星
〔6月6日〕白衣より夕顔の花なほ白し 小松月尚
〔6月7日〕かきつばた日本語は舌なまけゐる 角谷昌子
〔6月8日〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
〔6月9日〕水飯や黙つて惚れてゐるがよき 吉田汀史
〔6月10日〕銀紙をめくる長女の夏野がある 楠本奇蹄
〔6月11日〕触れあって無傷でいたいさくらんぼ 田邊香代子
〔6月12日〕檸檬温室夜も輝いて地中海 青木ともじ
〔6月13日〕滅却をする心頭のあり涼し 後藤比奈夫
〔6月14日〕夏の暮タイムマシンのあれば乗る 南十二国
〔6月15日〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
〔6月16日〕水母うく微笑はつかのまのもの 柚木紀子
〔6月17日〕混ぜて扇いで酢飯かがやく夏はじめ 越智友亮
〔6月18日〕動くたび干梅匂う夜の家 鈴木六林男
〔6月19日〕ゆがんでゆく母語 手にとるものを、花を、だっけ おおにしなお
〔6月20日〕暑き日のたゞ五分間十分間 高野素十
〔6月21日〕菖蒲園こんな地図でも辿り着き 西村麒麟
〔6月22日〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
〔6月24日〕レッツカラオケ句会
〔6月25日〕ソーダ水いつでも恥ずかしいブルー 池田澄子
〔6月26日〕肉として何度も夏至を繰り返す 上野葉月
〔6月27日〕夏めくや海へ向く窓うち開き 成瀬正俊
〔6月28日〕夏蝶や覆ひ被さる木々を抜け 潮見悠
〔6月29日〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
〔6月30日〕おやすみ

【2025年5月のハイクノミカタ】
〔5月1日〕天国は歴史ある国しやぼんだま 島田道峻
〔5月2日〕生きてゐて互いに笑ふ涼しさよ 橋爪巨籟
〔5月3日〕ふらここの音の錆びつく夕まぐれ 倉持梨恵
〔5月4日〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
〔5月5日〕いじめると陽炎となる妹よ 仁平勝
〔5月6日〕薄つぺらい虹だ子供をさらふには 土井探花
〔5月7日〕日本の苺ショートを恋しかる 長嶋有
〔5月8日〕おやすみ
〔5月9日〕みじかくて耳にはさみて洗ひ髪 下田實花
〔5月10日〕熔岩の大きく割れて草涼し 中村雅樹
〔5月11日〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
〔5月12日〕死がふたりを分かつまで剝くレタスかな 西原天気
〔5月13日〕姥捨つるたびに螢の指得るも 田中目八
〔5月14日〕青梅の最も青き時の旅 細見綾子
〔5月15日〕萬緑や死は一弾を以て足る 上田五千石
〔5月16日〕彼のことを聞いてみたくて目を薔薇に 今井千鶴子
〔5月17日〕飛び来たり翅をたゝめば紅娘 車谷長吉
〔5月18日〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
〔5月19日〕土星の輪涼しく見えて婚約す 堀口星眠
〔5月20日〕汗疹とは治せる病平城京 井口可奈
〔5月21日〕帰省せりシチューで米を食ふ家に 山本たくみ
〔5月22日〕胸指して此処と言ひけり青嵐 藤井あかり
〔5月23日〕やす扇ばり/\開きあふぎけり 高濱虚子
〔5月24日〕仔馬にも少し荷をつけ時鳥 橋本鶏二
〔5月25日〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
〔5月26日〕籐椅子飴色何々婚に関係なし 鈴木榮子
〔5月27日〕ソフトクリーム一緒に死んでくれますやうに 垂水文弥
〔5月28日〕蝶よ旅は車体を擦つてもつづく 大塚凱
〔5月29日〕ひるがほや死はただ真白な未来 奥坂まや
〔5月30日〕人生の今を華とし風薫る 深見けん二

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